先日記事作成上の都合で、26年前の山行の一部を紹介しましたが、途中でやめるのではなくて、下山するまでを何回かに分けて、つづっておきます。
記事中の写真はすべてソニーのハイ8ビデオカメラ(ハンディカム)の映像をキャプチャーしたものにつき、今となっては随分画像の粗い、見づらいものばかりとなりますが、その点はお許しください。
リュックサック ↓
名古屋市栄交差点近くにあった好日山荘で昭和45年頃に購入したこのリュックは50リットルほどの容量だったと思います。平成6年のこの山行でもすでにオールドファッションであり、山で行き合う人たちは皆、これより新しい、色も派手で、ファッション性のあるものを背負っていました。
聖平小屋を早朝に出て、聖平に着き、軽く食事を入れていきます。
聖岳山頂から赤石岳 ↓
南アルプスは「赤石山脈」と呼ばれますが、その真ん中付近に位置する、大親分格の赤石岳が、聖岳の山頂から盟主たる存在感を見せつけています。
富士山 ↓
この日は天気が良くて、雲の上に富士山が見えていました。聖岳の山頂から富士山を見たのはこの一度だけだったと思います。(手前のシルエットは布引山)
聖岳山頂 ↓
聖岳には前聖岳と奥聖岳と二つの山頂がありますが、これは前聖岳で、こちらの方が標高は30mほど高いようです。もちろん奥聖岳にも行きましたが、特別なことは感じませんでした。
眼下に山小屋 ↓
眼下の沢筋に山小屋が見えています。その日のねぐらである百閒洞(ひゃっけんぼら)山の家ですが、そこに着くまで、いくつかの峰越えをしてから、沢まで下ることになります。
聖岳を見返す ↓
聖岳の山頂から400メートルくらい下り、次の峰を登り返すことになりますが、鞍部で休憩を入れて、下ってきた峰を振り返ります。
コケモモ ↓
ガンコウラン ↓
兎岳・中盛丸山と稜線歩きをしていきます。稜線上で高山植物の「食べられる実」を見ていきます。
百閒洞(ひゃっけんぼら)山の家 ↓
山深いところにある山小屋ですが、ここでの夕食はフランス料理風のものが出されてびっくりしました。
それと、トイレが「水洗」でした。便器の下には沢の水が流れていて、文字通りの水洗式で、これにもびっくりしました。26年経った今でもあの時の料理が供されるのか、トイレは水洗式のままなのかは行ったときのお楽しみですね。
記事中の写真はすべてソニーのハイ8ビデオカメラ(ハンディカム)の映像をキャプチャーしたものにつき、今となっては随分画像の粗い、見づらいものばかりとなりますが、その点はお許しください。
リュックサック ↓
名古屋市栄交差点近くにあった好日山荘で昭和45年頃に購入したこのリュックは50リットルほどの容量だったと思います。平成6年のこの山行でもすでにオールドファッションであり、山で行き合う人たちは皆、これより新しい、色も派手で、ファッション性のあるものを背負っていました。
聖平小屋を早朝に出て、聖平に着き、軽く食事を入れていきます。
聖岳山頂から赤石岳 ↓
南アルプスは「赤石山脈」と呼ばれますが、その真ん中付近に位置する、大親分格の赤石岳が、聖岳の山頂から盟主たる存在感を見せつけています。
富士山 ↓
この日は天気が良くて、雲の上に富士山が見えていました。聖岳の山頂から富士山を見たのはこの一度だけだったと思います。(手前のシルエットは布引山)
聖岳山頂 ↓
聖岳には前聖岳と奥聖岳と二つの山頂がありますが、これは前聖岳で、こちらの方が標高は30mほど高いようです。もちろん奥聖岳にも行きましたが、特別なことは感じませんでした。
眼下に山小屋 ↓
眼下の沢筋に山小屋が見えています。その日のねぐらである百閒洞(ひゃっけんぼら)山の家ですが、そこに着くまで、いくつかの峰越えをしてから、沢まで下ることになります。
聖岳を見返す ↓
聖岳の山頂から400メートルくらい下り、次の峰を登り返すことになりますが、鞍部で休憩を入れて、下ってきた峰を振り返ります。
コケモモ ↓
ガンコウラン ↓
兎岳・中盛丸山と稜線歩きをしていきます。稜線上で高山植物の「食べられる実」を見ていきます。
百閒洞(ひゃっけんぼら)山の家 ↓
山深いところにある山小屋ですが、ここでの夕食はフランス料理風のものが出されてびっくりしました。
それと、トイレが「水洗」でした。便器の下には沢の水が流れていて、文字通りの水洗式で、これにもびっくりしました。26年経った今でもあの時の料理が供されるのか、トイレは水洗式のままなのかは行ったときのお楽しみですね。
技術は日進月歩と言われますが、機材を買った当時は「これこそが最新のもの」と思い込み、これが陳腐化するとは思いもよらないことでした。
しかし、今から振り返れば、そんな思い込みは浅はかだったことを思い知らされます。
今では小さくても性能の良いものが目白押しですね。
南アルプスからの富士山は距離的にも良い構図になりますね。晴れて幸いでした。
・やるやると知っては居たが山歩き
5泊6日の本格登山 (縄)
成る程と、只うなずいてスゴイナァ~、フランス料理になおもビックリ!
今回は一首頂きましたが、過分のご評価ですね。
おだてられると木登りまでしかねませんので、適当なところで、サゲに転じておいてください。
この山行は甲斐駒ヶ岳まで行くことを目指していましたが、塩見岳の直前で靴底のビブラムソールがはがれてしまい、やむなく塩見岳の山頂を踏んだところまでとしました。
安物買いの銭失い・・・・を地で行ってしまいました。
洒落ていますね。
聖から赤石 今年は無理か....。
山は良いですね!
あの頃の百閒洞山の家は東海フォレストの経営でした。
当時山小屋の厨房担当者がフランス料理の経験者ということで、夕食にはそれを感じさせる料理が並びました。
食卓に着いた皆さんは大喜びしていました。
トイレも面白かったですよ。「ポットン」と落としたところには沢の水が常時流れているので、匂いも何もなくて、過去に経験したことがない、清々しいトイレでした。
真夏の暑さとなり、さすがに昼間は外での作業はできないので、珍しく昼間にパソコンを開きました。
平成6年の南アルプス山行、興味深く、拝見しています。26年前というと末っ子がまだ3歳の時で、私と山の縁がいちばん薄かった時期です。
私がキスリングを購入したのが1972年で、その3年後にはアタックザックという今のザックに似たようなものが出てましたから、平成6年には帆布のキスリングは珍しかったでしょうね。
私が赤石~塩見を最後に歩いたのは1975年の10月末頃でしたが、天気が悪く、標高3000m以上の赤石の稜線で雨に降られ風に吹かれ、それは寒かったです。
その山行の写真が一枚もなく、ぶちようほう様の御画像で、赤石は立派な山だったんだな~と拝見しています。
もし甲斐駒まで縦走されていたとしたらすごいですね。
靴のソウルは時々剥がれますね。
私も日帰り山行の下山直前に一度経験あります。
お昼直前の時間でPCに向き合われるのはkeitann様としては珍しいことですね。
ここのところ本格的な暑さに見舞われて疲労困憊気味ですね。
平成6年は小生がまだ50歳ジャストの年で、山歩きの体力は健在の時でした。それでも荷が重くて必死に歩いた記憶があります。
この帆布のキスリングは生地が厚くて、とてもしっかりしたものでしたが、その後70リットル縦長リュックを購入した時に廃棄してしまいました。今になって惜しいことをしたものだと感じています。
赤石から塩見までの稜線歩きは長くて歩きでがありますね。
今でも入りにくい山域ですから、現在でもそれほど荒れてはいないのではないでしょうか。
その稜線上で10月に雨風に遭遇すると、間違えば(間違わなくても)命を持って行かれそうですね。
塩見岳の直前でビブラムソールが剥がれたのは天啓だったかもしれません。
あれ以上続けても精神のフレッシュさが保てなかったかもしれませんでした。
赤石岳は大きな立派な山で、そこからの眺めも凄いものでした。
出来ることならもう一度、今度は別のルートから歩いてみたいものです。
でも、今年中に77歳になりますので、80近くの爺様が歩くようなところではないかもしれませんね。
靴底の剥がれに対してもう少し柔軟に対処して居たら北岳くらいまでは足が延ばせたでしょうね。