ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

久しぶりに雀を見て

2021-04-16 09:41:39 | 草花
子供の頃に雀を二度ほど飼育したことがあります。
ちょっと可哀想なことでしたが、廃屋の屋根に上り、瓦の下の雀の巣からひなを拉致してきて、餌をやって育てるのですが、”すり餌”や飯粒、小さい青虫や蜘蛛、蝿に至るまで何でもよく食べたと思います。
育つに従い、人に良く馴れ、掌の上にも、頭や肩にも乗り、口笛で呼べば飛んできて、じつに可愛いものでした。

子供の頃のそんな経験がありますので、今に至るまで、雀は愛すべき野鳥であり続けました。
そんな雀の生息数が近年減少しているとか聞き、とても残念な気持ちがあります。
昨日、思い立って庭に雀のための餌台を立ててみました。 猫に狙われないように、やや高くした杭の上に木の平板を釘で打ち付けておきました。 こういうものはあまり凝らずに、ごくシンプルにしておくのが良さそうです。
餌台 ↓

台の上にパンくずを置いて、そのまま夕方まで気にかけないでいましたが、雨戸を閉めるときに、餌台を見ると、パンくずが減っていました。設置した初日から”来客”があったようです。台の水平が取れていませんが、大雑把でかまいません。


開店二日目に”御来客”確認 ↓

カメラを構えて待っていると望んでいたお客様の雀がやって来ました。
餌付けすると種の主体性が損なわれると聞きますので、今後はなるべく自然に、サービス過剰にならない程度にお付き合いさせてもらうことにします。


ナンテン ↓

ナンテンの若芽・若葉がきれいでしたので、記憶に残します。



飛行機雲 ↓

久しぶりに日没を見にいつもの野原に行きましたが、この日の西空は雲で埋まっていて日輪を見ることが出来ませんでした。
澱んだような空には幾筋かの飛行機雲が見え、下り坂の天気を示していました。現実に次の日は雨降りになりました。



依佐美送信所跡地 ↓

日没時刻にあたりの風景を写真に収めて家路につきます。
紅白の鉄塔は、かつてこれの10倍の高さの250mの鉄塔を400メートル間隔で8基建ててアンテナにして、それを一体化させることによって、高感度の無線通信をしていました。大東亜戦争開始の「ニイタカヤマノボレ」(「真珠湾ヲ攻撃セヨ 」 の意味を表す略号)の暗号は潜水艦向けにはここから長波で打電されたということです。
戦争終結後には、米軍に接収され、例えばベトナム戦争の時には膨大なデータがやり取りされていたとも聞きます。
その後、人工衛星による通信にとって代わってから、この通信基地は日本に返還され、この国でもその需要がなくなり、250メートル×8基の鉄塔も無用の長物となってしまい、解体されたものですが、その記念碑的なものを高さを10分の1に寸を詰めてここにだけ遺しています。



アゲハチョウ ↓

風の強い日にアゲハチョウが羽を休めていました。成体としてはとても小さいものでした。



アマドコロ ↓

日当たりの良いところのものでは花が咲き出しています。



入日の方角で、日暮れの景色 ↓

新月の後に見えだす細い月を見るために野原に出て、見えるときを待ちます。



三河安城の街明かり ↓

どっぷりと暮れてから、今度は逆の方角には三河安城の駅南の街明かりが浮かんで見えます。


待つことしばし・・・・


三日月 ↓

この日(4/14日)は三日月ということで、新月後に初めて見える月になるのではないでしょうか。しかし、雲がなかなか切れなくてやきもきさせられました。午後7時ちょっと過ぎたころやっと、月齢2.3の細い月が西空に見えてくれました。



ドイツスズラン ↓

拙庭でやや蔓延り始めたドイツスズランですが、写真を撮っているときに良い香りが時折鼻腔に届いて来ました。



ホウチャクソウ(宝鐸草) ↓

”宝鐸”(ほうちゃく=寺院建築物の軒先の四隅に吊り下げられた飾りを指す)に似た花が表れてきました。



シラン ↓
              
我が家のものは他所よりもだいぶ遅れて、今やっと咲き出しました。



オキナグサ ↓

オキナグサの種の綿毛がもこもこしてきています。早速これを採り播きしました。(二年後か三年後に花が咲きます。)



昨晩(4/15日)の月 ↓

これは月齢3.3となっていて、上掲の三日月よりも一日分だけ太くなっています。

本日は朝方から雨がぽつぽつしてきましたので、月の観望は無理でしょうが、とりあえず様子をうかがっていきます。
コメント (8)
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