ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

早春の木の花と史跡巡り:ハナノキ サンシュユ シモクレン ユキヤナギ 枝垂桜、知立神社 宮城道雄供養塔

2019-03-23 09:07:11 | 草花
昨日の午後から自転車で漕ぎだしました。
目的は公園で咲くハナノキを見ること以外には特に特に定めず、目的地すらも決めないままに出掛けました。
取り敢えず、ハナノキを見に行きます。
公園に着くと、木の高いところで花の木は咲いていました。

ハナノキ ↓



次に、同じ公園内で咲くサンシュユを見に行きます。

サンシュユ ↓



公園内のこの環境では木の勢いが減じられるようで、元気があまりよくない感じでした。


サンシュユを見てから、次の目的地を決めることになります。向かい風が相当強いので、元気のある今のうちに風に向かって走り、帰りには風を背負って戻って来るようにします。
ということで、北西に向かって進むことにしました。

シモクレン ↓



道端にシモクレンが伸び伸びと咲いています。



ユキヤナギ ↓



シモクレンの隣で、ユキヤナギも日を浴びて元気よく咲いていました。


神社に行けば何かありそうに思い、神社に向かいます。

枝垂桜 ↓



神社の境内では枝垂桜が咲き出していました。




シャシャンボ ↓

もう一つ別の神社(村社)にも寄って見ます。鳥居の横でシャシャンボの花芽が出来つつあります。


知立市内の大型スーパーに立ち寄って探し物をしていきます。
それが済むと、再び北西方面に走ります。 目指す方角には知立神社があります。


知立神社 ↓

結局、知立神社に一月の参詣に続き、また来ることになりました。



石橋 ↓

神社の拝殿の真ん前にある小さな石橋で、人が立ち入ることはできなくなっています。



多宝塔 ↓

国の重文指定
もともとは紀元850年頃の建立のようですが、その後1509年再建とあります。その後も大正9年に解体修理して復元されたのが現在の姿のようです。



養正館 ↓

明治18年に竣工した、当時としては珍しい洋風建物で、元は知立城址にあったと聞きます。
明治23年の陸軍大演習の時はここに明治天皇が休憩され、地元ではそのことを慶賀して、その後、天皇の玉座にしめ縄を張ったということです。
その後この建物はいろいろな使われ方をして、移築されて今に至り、このような”廃屋”になってしまいました。
建物の保存、復元の動きも今のところはないようです。



芭蕉の句碑 ↓

「不断堂川 池鯉鮒の宿農 木綿市(ふだんたつ 知立の宿の木綿市)」(不断は‥絶え間がなく程度の意味)
芭蕉が知立の木綿市の賑わいを詠んだもののようですが、「堂川」のところを「たつ」と読み宛てるところが、未だにどうしても理解できません。
(その後、変体仮名の世界で「堂」の字は”た”と読み、「川」の字は”つ”と読むことを知りました。)

知立神社を出てからしばらくの間、国道一号を風に向かって漕いでいきます。

適当なところで国道一号から逸れて、刈谷の市内に向かう帰り道となります。

途中で一軒立ち寄り、最後にもう一つ久しぶりの場所を訪ねることにしました。


宮城道雄さんの供養塔 ↓



箏曲「春の海」作曲の宮城道雄さんの供養塔がありますので、ここにお参りします。
宮城先生は昭和31年の6月に演奏旅行の途次、この付近で列車から転落されて亡くなっていたのです。盲人であった先生が何故列車から落ちたのかについては謎のままです。



シデコブシ ↓



家について庭で咲く?シデコブシを・・・・・
残念ながら花びらをここごとくヒヨドリに食べられてしまいます。
コメント (6)
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