ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

3/7日 三嶋大社を参拝します。

2014-03-13 06:42:40 | 草花
柿田川の湧水群を見に行こうと考えたときに、それだけでは時間が余るので、もう一つどこかを回ろうと思ってその場所を探しました。
そうすると、そう遠くない場所に三嶋大社があることに気付き、かねてから一度は訪問したいと思っていた場所でしたので、そこに行くことにして旅に出て来ました。

三嶋大社の創建はハッキリしていないのですが、鎌倉時代の初期には関東地方の総鎮守として源頼朝はじめ、鎌倉武将の尊崇を集めたところだったようです。

拝殿の大きさは国内最大級の規模であり、軒下の彫刻群は目を見張るものがあります。
旧社格では官幣大社という事で、静岡県内にはこれと同じ社格のものは富士宮市内の富士山本宮浅間大社しかないそうです。

境内に国の天然記念物であるキンモクセイの木があるということでしたので、それとの出会いも楽しみにして来ました。

ゑびす参道 ↓

柿田川の湧水群のある柿田川公園からあるいて30-40分くらいでしょうか、神社の門前町風の雰囲気が僅かに残った街並みに来ました。この通りをゑびす参道と言います。



神社入口 ↓

神社の入口の前に大通りが有り、信号待ちしてから入っていきます。



古木・大木あり ↓

神社の域内に入るとあたりの大きな木がポツポツと目に入ります。
こういうものを見るに及び、ここが古くから人々の尊崇を集めているところだと言う実感が涌いてきます。
さて、この樹種は何でしょうか。




モッコク ↓

庭木の王様とも言われるモッコクが大木となり、聳えています。
樹齢は500年と推定されていました。




けやき ↓

こちらは樹齢600年とされるケヤキですが、残念なことに幹の主要部分が欠損しています。





若山牧水の歌碑 ↓


のずゑなる 三島のまちのあげ花火 月夜のそらに 散りて消ゆなり
と有りました。  
これは1920年の8月15日に、この神社の夏祭りの花火を見て詠んだ歌でした。




総門 ↓

大通りから入って神社の本殿まで、神社内の参道は真っ直ぐにあります。
行く手の総門を潜る手前で、外国人とすれ違い、彼から池の中の岩に甲羅干しの亀たちが群がっている”珍景”を教えてもらいました。 曰く”カメジマ”と、シマにちゃんと濁点が付いていたことにビックリしました。




神門 ↓

総門の次は神門で1867年の造りとあります。ここから中は第一清浄区域となります。




国の天然記念物キンモクセイ ↓

目当てにしていたキンモクセイがありました。枝を支えられて周囲は根を踏み固めないように柵で守られています。



キンモクセイの根際 ↓

樹齢1200年と目されています。昭和9年に国から天然記念物の指定を受けたそうですが、針葉樹のようには見上げるような大木化はしないものですね。




社殿 ↓

この建物は1854年に地震によって崩れたものを1868(明治元)年までかけて作り直したそうです。
明治維新を体験した建物と言うことになりそうです。




軒下の彫刻 ↓

軒端には手の込んだ彫刻がびっしり詰まっていました。




芭蕉句碑 ↓

これも境内にありました。
どむみりと あふちや 雨の花曇 とあります。
あふちはおうちで、「楝」と書き、センダンのことですね。
芭蕉は、「どむみりと」とか不思議な表現を時折見るところですね。




農兵節 元詩の石碑

宴会などで良く歌われる”ノーエ節”の元になるともいわれる農兵節の元詩で、石碑には、「富士の白雪 朝日に溶て、三島女臈衆の化粧水」とあります。
(ノーエ節の起源については諸説あり、ここでは断じることを避けます。)
コメント (8)
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