現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

早見和真「北新宿ジュンジョウハ」東京ドーン所収

2016-07-31 08:40:28 | 参考文献
 大学を中退した非正規労働者が主人公です。
 就活のノウハウ本をもとに、正社員になるための就職活動をしていますが、なかなかうまくいきません。
 一見、現代の若者が当面している問題を扱っているようですが、作者はその問題をぜんぜんまじめに考えていません。
 これもまた、作者にとっては単なる小説のネタです。
 主人公には、大学に復学するだけの遺産もあり、四年も続いていて貯金もできるバイトもあり、親身になってくれる先輩もいて、すべてを受け入れてくれている恋人もいます。
 これでは、まるでフリーターのパラダイスです。
 独りよがりのロマンチシズム以外に、作者は何を書きたかったのでしょうか?

東京ドーン
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講談社
  
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7月30日(土)のつぶやき

2016-07-31 06:50:16 | ツイッター
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蜂飼耳「王さまの町」のろのろひつじとせかせかひつじ所収

2016-07-30 08:16:56 | 作品論
 二匹が王さまの住む町へ旅に出る話です。
 二匹は王さまに会うつもりだったのですが、もう少しで食べられてしまうところでした。
 のろのろひつじが思い切ってコックさんに頼んだことで、二匹は逃げることができました。
 ピンチに陥った二匹が助かる場面があまりにもあっけなく、物足りませんでした。
 深刻にならないでほんわかしたムードを狙っているのでしょうが、これではのろのろひつじの良さしか出ていなくて、せかせかひつじの方の個性が生かされていません。
 もう少しお話し作りに工夫があってもいいのではないでしょうか。
 
のろのろひつじとせかせかひつじ (おはなしルネッサンス)
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理論社

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7月29日(金)のつぶやき

2016-07-30 07:47:51 | ツイッター
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大塚英志「村上龍になりきって小説を書く」物語の体操所収

2016-07-29 08:33:26 | 参考文献
 ここでは、小説を書く作業を「世界観」と「物語」に分離して創作する方法を説明しています。
 そして、それらは、歌舞伎では「世界」と「趣向」という形で大昔から行われてきたことで、ゲームやアニメやコミックスといったサブ・カルチャーの世界では当たり前のこととしています。
 そして、「世界観」は創造できなくても、「物語」は作れる人たちのことを「ブルーカラーの物語作者」と呼び、肥大化したゲームやコミックス、そしてライトノベルなどの業界では需要がたくさんあるとして、養成しようとしています。
 実例として、村上龍の「五分後の世界」の「世界観」を用いた二次創作を専門学校の生徒に書かせた梗概を掲載しています。
 児童文学でもっとも有名な「世界観」は、大塚も例にあげていますが、トールキンの「指輪物語」でしょう。
 世界中で、おびただしい数の小説、ゲーム、映画、演劇、アニメ、コミックスなどが、「指輪物語」が確立した「剣と魔法」の「世界観」(もっとも、トールキンも古代言語や神話から世界観を拝借しているのですが)を使って、「二次創作」されています(もちろん、盗作にならない程度に改変はされていますが)。
 はっきりと続編として、作者の死後に同じ「世界観」を用いて書かれた児童文学の例としては、ケネス・グレアムの「楽しい川辺」がありますが、あまり成功しませんでした。
 末端のユーザーが「二次創作(正確には何次かわかりませんが)」する例として、RPGをプレイすることやカラオケで歌うことを大塚はあげていますが、これらは非常に自由度が低く面白さは限定されているでしょう。
 私の友人は、高校時代(七十年代初めですのでもちろんゲーム機はありません)に、小さなルーレットを使ってかなり精緻にプロ野球のセントラルリーグを模した野球ゲームを創造していました。
 これなども、「プロ野球」という「世界観」を使った「二次創作」なのですが、授業中に彼が私の後ろの席でひそかにしていた実際のプレイを「二次創作」とみると、この「野球ゲーム」自体が疑似「世界観」(ルーレットの目によって決定される仮想の野球)だったのかもしれません。
 私自身も、小学校の時は、メンコを使っていろいろな疑似「世界観」(三国志、水滸伝、プロ野球、高校野球、プロレス、映画、マンガなどの世界観を借用していました)を設定して、メンコに仮想したキャラクターに演じさせていました。
 また、中学、高校の時は、鉛筆の六面をサイコロ代わりにして、いろいろなスポーツ(サッカー、競馬、野球、アイスホッケー、スキージャンプなど)の疑似「世界」を作って、授業中にプレイ(「二次創作」)していました。
 その時の経験からすると、実際にプレイ(「二次創作」)するよりも、時間的空間的物理的制約の中で新しい疑似「世界観」を生み出す方がはるかに(これは数倍というレベルではなく桁が二つ以上違うぐらい)おもしろいことなのです。
 それゆえに、大塚が「世界観」と「物語」を分離して、自身が認めているようにやや差別的な表現である「ブルーカラーの物語作者」になることを生徒たちに勧めていることは、理屈では分かるのですがかなり抵抗を感じます。
 けっきょく大塚は、彼らを二重の意味(お金を取って養成して、後で使い捨てる)で食い物にしているだけなのではないでしょうか。

物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫)
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7月27日(水)のつぶやき

2016-07-29 08:27:03 | ツイッター
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マニー・パッキャオ

2016-07-27 21:19:29 | 映画
 言わずと知れたボクシングの6階級世界チャンピオン、マニー・パッキャオを描いた、2014年のアメリカのドキュメンタリー映画です。
 型通りにフィリピンでの貧しい生い立ちから、アメリカに渡ってボクシングで文字通りのアメリカン・ドリームを実現した半生をおっていきます。
 ただ、単純なヒーローものでなく、彼の周りに金儲けのために群がった人間たちや彼自身の失敗も描いていて、パッキャオの多面的な活躍(ボクサー、バスケットボール選手、タレント、歌手、政治家、宗教活動家など)を駆け足ですが追いかけています。
 その後、パッキャオは、2015年にフロイド・メイウェザーとの「世紀の一戦」を戦い、2016年に引退しています。
 他の世界でもそうですが、ビッグマネーが動くようになると、その関係者がどんどん毒されていく様子がよくわかり、興味深かったです。

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ジャンゴ 繋がれざる者

2016-07-27 08:40:21 | 映画
 マカロニウェスタン最大のヒーローであるジャンゴを、黒人にして南北戦争前のアメリカ南部に登場させた変わり種の西部劇です。
 人種差別まで、エンターテインメントの起爆剤にしてしまう腕前はさすがです。
 ただ、タランティーノ監督なので、めちゃくちゃなスプラッタームービーなので、R15指定になってしまっています。

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7月26日(火)のつぶやき

2016-07-27 07:28:03 | ツイッター
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ビアトリクス・ポター「りすのナトキンのおはなし」ピーター・ラビット全おはなし集所収

2016-07-26 16:58:32 | 作品論
 この作品でも、主人公のナトキンは、ピーター・ラビットと同様にいたずらっ子に設定されています。
 いい子ばかりの他のリスたちと違って、ナトキンは一人でいろいろな当時の子どもたちの遊びやなぞなぞをしてふざけています。
 この作品で興味深いのは、登場する動物たちが擬人化されているだけでなく、それぞれの本来の生態も残していることです。
 特に、ラストでナトキンがフクロウのブラウンじいさまを怒らせて、あやうく食べられてしまいそうになるところは非常にスリルがあって面白いです。
 また、作品世界に、人間、擬人化された動物、それ以外の動物(リスたちがブラウンじいさまに差し出すネズミやモグラ)が混在している点も、同時代の作品であるケネス・グレアムの「楽しい川辺」と共通していて、これがイギリスの動物ファンタジーの伝統なのでしょうか?
 そこには、冷徹に自然を観察している作者の視点が感じられて、既存の動物のイメージに依存した現代の安直な動物ファンタジーとは、明らかに一線を画しています。

りすのナトキンのおはなし (ピーターラビットの絵本 10)
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ビアトリクス・ポター「ピーター・ラビットのおはなし」ピーター・ラビット全おはなし集所収

2016-07-26 16:39:51 | 作品論
 1902年に出版された、かの有名な「ピーター・ラビット」シリーズの絵本の第一作です。
 絵本を読んだことのない方でも、ピーター・ラビット・シリーズの挿絵の付いた食器などはご覧になったことがあるでしょう。
 私が長年愛用しているコーヒーカップの絵柄も、まさしくこのピーター・ラビットの挿絵です。
 なぜか青い上着と靴だけつけて、上に伸びあがるようにしてニンジンを食べている愛らしいポーズは、最初から完成していたのです。
 ピーターはおかあさん(その十九世紀的な衣装が作品世界の雰囲気にぴったりです)と四人兄妹で暮らしているのですが、他の兄妹はいい子なのに彼だけがいたずらっ子で、隣のマクレガーさんの農園で問題を起こします。
 このピーターのような優等生じゃない主人公のキャラクター設定こそが、このシリーズの世界的な成功を生み出したのでしょう。

ピーターラビットのおはなし (ピーターラビットの絵本 1)
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福音館書店
 
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辻原登「夏の帽子」父、断章所収

2016-07-26 09:15:22 | 参考文献
 谷崎賞をとった作家(辻原自身よりも10歳ぐらい若く設定されている)が、デビュー前に神戸で付き合っていた女性を裏切って、上京後に知り合った女性と結婚します。
 二十年以上たってから妻と一緒に神戸を訪れた男が、過去を感傷的に振り返ります。
 谷崎潤一郎や佐藤春夫の挿話をそれと重ねて辻原流にひねってありますが、全体は気取った凡庸な短編です。
 2012年に「文藝」に発表された作品ですが、辻原もとうとう老いてしまったのではないかと、少し心配になりました。
 児童文学の世界でもかつては優れた作品を書いていた作家が、あるときからガクッと作品の質が落ちる時があります。
 それでもネームバリューで商品になってしまうのが、この世界の良くない所です。

父、断章
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新潮社
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7月25日(月)のつぶやき

2016-07-26 09:01:11 | ツイッター
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大塚英志「つげ義春をノベライズして、日本の近代文学史を追体験する」物語の体操所収

2016-07-25 18:16:29 | 参考文献
 冒頭で、大塚は自分の生徒たちの大半が「つげ義春」を知らないことに愕然として、「おたく的教養」の崩壊だと嘆いています。
 もともと「教養主義」を否定して小説技術(正確には物語技術)を養成しているにもかかわらず、こういった文章が出てくると、彼の本心が透けて見えるような気がします。
 つまり、実は大塚は本質的には「教養主義者(おたく的教養も含めて)」で、「教養」のない彼の生徒たちを内心では「ブルーカラー物語作家」(予備軍)と名づけて軽蔑し、かつての社会主義リアリスム的表現を使えば、「資本家」的に「労働者」を搾取(専門学校でお金を取って養成し、将来的には下働きさせる)しているのでしょう。
 これは、アニメ業界で、美大や専門学校でセル画を描く人たちを養成して、安い賃金と長時間労働で搾取しているのと、よく似た構造です。
 どちらも、働いている若者たちは、セル画を描いたり、物語を作ったりするのが好きなので、あまり不満が表面化していませんが、基本的にはいわゆる「ブラック企業」となんらかわりはありません。
 さて、本題に入ると、「つげ義春」のマンガを生徒たちにノベライズさせて、日本の近代小説の主流であった私小説および、内面と外界をどのように写生するかを学ばせて、日本の近代文学史を追体験させています。
 さらに、「つげ義春」の「私」は実は仮構されたもので、一種のキャラクター作品なのではないかと推定しています。
 そして、日本文学におけるキャラクター小説の起源を、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」にあるとしています(ということは、そのルーツはサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン・コールフィールド(その記事を参照してください)であることになります)。
 そこから、橋本治の「無花果少年」、栗本薫の「ぼくらの時代」と辿って、新井素子の「あたしの中……」に行きつきます。
 新井の「ルパン三世のような小説」をめざしたというこの作品では、それまでの自然主義リアリズムの代わりにアニメ・まんが的リアリズムが採用され、現在のキャラクター小説(コバルト文庫の少女小説やライトノベルのファンタジー小説やミステリー小説など)を確立したとしています。
 この大塚の推定はおおむねうなづけますし、現在の児童文学のエンターテインメントの大半はキャラクター小説になっているので、大塚の論は多くの示唆を含んでいます。
 大塚のこの本は、ここで小説家志望の生徒ならびに読者たちを、「私小説」作家になるか「キャラクター小説」作家になるか、二つの途があると突き放して終わっています。
 しかし、ここまでの流れをふり返ると、他人の「世界観」に基づいて創作する方法や漫画のノベライズの方法は教わりましたが、これで「小説」が書けるようになったとは思えません。
 せいぜい大塚のいうところの「ブルーカラー物語作家」になる方法を教わっただけで、「ホワイトカラー(こんな言い方は差別的ですが大塚に倣っています)物語作家」になる方法は教わっていません。
 しいて小説家になる方法を推測すると、平野啓一郎のように「教養」を身につけて、村上龍のようにマルチメディアと親和性の高い「世界観」を生みだせるようになり、重松清のようにノベライズをしながら小説技法を磨いて「ブルーカラー物語作家」から「ホワイトカラー作家」へのしあがるということでしょうか。
 「あとがき」も含めて読んで、「物語の体操」というタイトルには異論はありませんが、副題の「みるみる小説が書ける6つのレッスン」は、「羊頭を掲げて狗肉を売る」のように感じられてなりません。

物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫)
クリエーター情報なし
朝日新聞社
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7月24日(日)のつぶやき

2016-07-25 17:00:17 | ツイッター
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