現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

皿海達哉「メジロのとまり木」坂をのぼれば所収

2016-06-30 18:13:35 | 作品論
 小学六年生の稔は、大晦日の日に、正月に使うウラジロを探しに山に行った時に、足に枝をぶらさげたメジロを見かけます。
 トリモチを使った罠から逃れてきたのでしょう。
 しかし、枝を足にぶら下げたままなので、上手に飛ぶことも枝にとまることもできません。
 それでも懸命に飛んでいるメジロを見て、それまで熱中していたメジロ捕りをもうやめようと思います。
 始業式の朝に、前を歩いている中学生たちの会話から、そのメジロがナワシログミの枝にひっかり、さらに空気銃で撃たれて死んだことを知ります。
 稔は、卒業記念の植樹の木を、メジロが大好きな蜜のたくさんある赤い花の椿にしようと思います。
 この作品は、従来の「アクションとダイアローグ」で書かれた現代児童文学ではなく、主人公の心理を中心に徹底して「描写」を用いて書かれた「小説」です。
 この本は1978年に初版が出たのですが、このころから小説化した児童文学が現れ始めて、それらの本では読者の対象年齢も上がって、やがて一般文学への越境が始まります。
  物の哀れ、生き物の死、弱者へのまなざしなど、感受性豊かな少年の気持ちを鮮やかに描き出していますが、今の同年代の読者には高尚過ぎるかもしれません。
 しかし、それ以前に、普通の男の子を主人公にした男の子向けの作品(出版当時あるいは作者が子ども時代の地方の男の子の遊びである、メジロ捕りについて克明に描いています)など、L文学(女性の作家が女性の読者のために女性を主人公にした文学)全盛の現在では、出版すらされないでしょう。

坂をのぼれば
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PHP研究所
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佐藤宗子「風をおこす旗手」<現代児童文学>をふりかえる所収

2016-06-30 17:05:56 | 参考文献
 1953年に発表されたいわゆる早大童話会「少年文学宣言」(正式な名称は「「少年文学」の旗の下に!」)を詳細に検討しています。
 学生の同人誌に発表された明らかに気負った若書きの「宣言文」を、詳細に文章や用語まで分析することにどこまで意味があるのかは疑問ですが、佐藤の指摘の中で以下の三点が興味深かったです。
 第一点は、この宣言文に児童文学に「社会性」をもたらそうという意思を認めつつも、佐藤がこの文章を書いた1994年の時点で、それが薄れていることを指摘している点です。
 私見では、この時点で児童文学には「社会性」は完全に消滅していて、「現代児童文学」を支えた三つの特徴の一つである「変革への意志」が失われた時点で、少なくとも早大童話会が主張した「少年文学(現代児童文学と同じと考えていいと思います)」は終焉していたのだと思われます。
 二点目は、「作家の主体性」の問題ですが、これもまた、次第に「読者(子どもたちに本を手渡す媒介者も含めて)」に主導権を奪われて(売れる物しか出版されなくなりました)、バブル崩壊後の1990年代半ばには失われていました。
 最後の点は、古田足日や鳥越信たち当時の早大童話会(後の少年文学会も含めて)のメンバーを、「児童文学」の将来を担う「旗手」だとする認識ですが、これも1960年代までは後藤竜二なども含めてそれは正しかったと思われますが、その後は革マル派のパージなどによって、その伝統は完全に失われてしまいました(詳しくは、「早大児文サークル史」の記事を参照してください)。
 佐藤の文章が書かれてからさらに二十年以上がたち、「少年文学宣言」からは六十年以上の時間が流れ、鳥越先生に続いて2014年には古田先生もお亡くなりになった現在では、宣言文に込められていた児童文学に対する彼らの情熱を思うと、隔世の感がいたします。
 鳥越、古田、両先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

「現代児童文学」をふりかえる (日本児童文化史叢書)
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久山社
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6月28日(火)のつぶやき

2016-06-30 16:58:49 | ツイッター
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6月27日(月)のつぶやき

2016-06-30 16:58:06 | ツイッター
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森 忠明「ローン・レンジャーの思い出」

2016-06-28 23:06:16 | 作品論
 1994年に出版された、転校してしまった四年三組のクラスメイトだった二人の男の子の思い出を語る話ですが、実際はいつものように保育園の時に脳腫瘍で早逝してしまった姉への思いを綴っています。 
 森は1970年代にデビューしたころは、小学校のころの体験に基づいた「きみもサヨナラ族か」(その記事を参照してください)や「花をくわえてどこへいく」(その記事を参照してください)などで、そのころ子どもたちの間でも一般化しつつあった現代的不幸(生きていくことのリアリティの希薄さ、アイデンティティの喪失など)を先取りした作品で注目されました。
 早熟だった森は、自身の小学校時代である1950年代にそれらを実感していたのでしょう。
 その後、作品の時代設定を執筆時現在にした作品を苦労して書いていましたが、あまりうまくいきませんでした。
 そのため、開き直って、またこの作品のように自分の小学校時代の頃のことを書くようになります。
 しかし、さすがにそのころは時代のギャップが大きかったようです。
 この作品に登場する、テレビ西部劇の「ローン・レンジャー」、西部劇映画の「ほこりたかき男」、シスターボーイの丸山明弘(今の美輪明弘のことで女性的な美少年で有名でした)などは、出版当時でも読者にはチンプンカンプンでしたでしょう。
 90年代に入って、どの本もほとんど売れなくなったのにまだ本が出ていたのは、各出版社に熱狂的な森ファンがいたからで、彼らは(実は私自身もそうなのですが)こういった作品でも森の作品は大好きなのです。
 私の編集者の友人もそんな一人で、1997年に「グリーン・アイズ」という本を担当して、あとがきに森が彼女宛の謝辞を述べています。

ローン・レンジャーの思い出 (ぶんけい童話館)
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文溪堂
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6月26日(日)のつぶやき

2016-06-27 20:59:38 | ツイッター
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あびるとしこ「スタートライン」

2016-06-26 20:21:25 | 作品論
 思いがけずリレー選手に選ばれてしまった、四年生の女の子の話です。
 リレーの練習を通して、それまで苦手だったクラスメイトの女の子の違う面を発見します。
 小学生の女の子たちの繊細な気持ちがよく描けていて、同年代の女の子の読者には共感を持って読まれることでしょう。
 グレードを意識したせいか紙数が少ないので、後半はやや駆け足になってしまいましたが、ラストも読み味がいいです。
 二十年ぐらい前に書かれた作品なので、小学校や商店街の様子も今ではだいぶ変わってしまっていますが、人間関係の描き方には普遍性があります。

スタートライン (新日本おはなしの本だな)
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新日本出版社
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井上乃武「「批評性」と「文学性」」

2016-06-26 18:31:02 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 ナンセンスファンタジー作家の小沢正が、1966年に書いた「ファンタジーの死滅」(その記事を参照してください)という論文と、彼の代表作『目をさませトラゴロウ』におけるファンタジー観の問題について考察しています。
 井上は、ファンタジーを現実の対応物と考えることに、違和感があるそうです。
 また、この発表では、テーマと異なるキャラクターの動きについても考えてみたいと思っているそうです。
 井上が、小沢正の「ファンタジーの死滅」という評論に興味を持ったのは、その中に出てくる未完成という言葉からです。
 「ファンタジーの死滅」では、「子どもを発見したからこそ、ファンタジーが発生した」と主張していると、井上は述べています。
 そして、「子ども」も「ファンタジー」も、近代あるいは近代が生み出した諸制度によって規定されているとしています。
 レジュメで引用した岡田淳のファンタジーは、小沢のファンタジー論の影響を受けていると、井上は言っています。
 井上の発表に対する熱意は伝わってくるのですが、時間配分ができてなくてすごく早口にレジュメを全部話そうとして、けっきょく尻切れトンボに終わってしまいました。
 質疑のときに発表出来なかった部分も触れられるように助け舟を出したのですが、その意図も理解できなかったようで答えもまとまっていませんでした。
 レジュメも、先行論文をよく調べてあって力作なのですが、小沢の論文や作品およびいろいろな先行論文からの引用が多く、発表時間に対してあまりにも長すぎてまとまりがありません。
 レジュメとは別に、発表用に要点をパワーポイントでまとめて説明するなどの工夫が必要だったと思います。
 以下は、レジュメの内容です。
1.はじめに
 岡田淳の「扉のむこうの物語」を引用して、「未完成」というタームを強調しています。
2.「ファンタジーの死滅」の概要
A.ファンタジーの由来(その背景)もしくは「子どもと文学」批判
B.「一つが二つ」論・<一つの物を二つにする機械>について
C.ファンタジー小説の限界(と可能性)について
3.「ファンタジーの死滅」の問題
A.「ファンタジーの死滅」についての言及
B.「子どもと文学」をめぐる問題
C.時代状況の影響
D.「まちが かわる日のうた」(注:「小沢の代表作「目をさませトラゴロウ」の巻末に掲げられた歌です)の解釈
E.テクスト内在的なファンタジー児童文学の可能性
4.「目をさませトラゴロウ」の問題
A.初出時の収録作品
B.前提としての「自己同一性」「子どもの自立性」というテーマが存在
C.「はじめに」の問題
D.「一つが二つ」
E.「食う」ことによる自己同一性イデオロギーの破壊
F.「目をさませトラゴロウ」の問題
5.ファンタジー児童文学の可能性について
6.おわりに――いぬいとみこ「木かげの家の小人たち」をめぐる二通りの空想
A.「小人たちの物語」へ:天沢退二郎「二つの掟――いぬいとみこ作『木かげの家の小人たち』論――」
B.「人間たちの物語」へ:長谷川潮「小人像は中途転換した」
「まちが かわる日のうた」
 井上があげてくれた先行論文は、それぞれ重要なものばかりですので、全部読んで私なりの考えをまとめようと思います。

目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版)
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理論社




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6月25日(土)のつぶやき

2016-06-26 10:32:56 | ツイッター
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6月23日(木)のつぶやき

2016-06-25 21:01:58 | ツイッター
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立花 隆「ボスザルは存在しない 伊沢紘生」サル学の現在所収

2016-06-23 19:37:22 | 参考文献
 作者が当時(1986年から1990年ごろ)気鋭だったサル学者と雑誌上で連続対談したのをまとめた本の中で、この対談が一番衝撃的な内容でした。
 ご多分に漏れず、私もこの本を読むまでは、ニホンザルの群れはボスザルを中心とした同心円構造を持っていると思っていました(それらに言及していた伊谷純一郎の「高崎山のサル」は、学生時代の愛読書でした)。
 ところが、ボスザルは、高崎山などの餌付け群における餌場という狭い空間で餌を取り合う力関係から想像した幻に過ぎないことを、伊沢氏が白山における自然群の観察から明らかにしたのでした。
 サルは群れの中でも、あるいは群れ同士でも親和的で、競争関係を持たないことを証明し、さらに狩猟民を観測したところによると、本来は人間もサルと同様に親和的で競争的ではないことを知って、目からうろこが落ちる気がしました。

サル学の現在
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平凡社
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河合雅雄「モル氏」少年動物誌所収

2016-06-23 14:54:28 | 作品論
 小学生の男の子が、縁日で買ったモルモットを、弟と一緒に飼う話です。
 戦前の地方で、しかも、主人公はのちにサル学の権威になる学者の子ども時代なので、現代のペットのモルモットを飼うようなチマチマしたお話とは次元が違います。
 目的は、ずばり、つがいで飼って子どもを増やして、金儲けをしようというのです。
 巣箱も餌もすべて手作りで、子どもたちだけで繁殖に取り組みます。
 この種の話は、昔はわりと一般的だったようで、柏原兵三の「兎の結末」(その記事を参照してください)も、兄弟(ただしこちらは中高生)でつがいの兎を飼って増やそうとする話でした。
 柏原の方は、つがいだと思っていた兎が二匹ともオスだったので頓挫しますが、こちらは順調に増えていきます。
 いや増えすぎて70匹以上にもなってしまい、しかもあまり売れず、兄弟は大食らいのモルモットたちの餌の草刈りに追われます。
 そして、とうとうあたりの草を刈りつくしてしまい、よその畑の麦にまで手を出してしまうところで、お話は終わります。
 動物学者の冷静な観察眼は、動物愛護的な児童文学にありがちな甘さに流されずに、モルモットたちの生や死、それに生殖までも包み隠さず克明に描き出しています。
 
少年動物誌 (福音館文庫 ノンフィクション)
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福音館書店

 
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6月21日(火)のつぶやき

2016-06-23 09:34:44 | ツイッター
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三田完「通夜噺」黄金街所収

2016-06-21 18:15:19 | 参考文献
 落語界の内幕を生かした人情話です。
 登場人物が類型的で描写も常套的なのですが、この短編集の中では一番いい出来です。
 作中の「胡瓜揉み」という落語がうまくいかされています。
 おそらくこういう創作落語が作者には一番フィットしているのではないでしょうか。
 児童文学でも落語を素材にしたものはありますが、こうした創作落語を作中に入れた作品は記憶がありません。

黄金街
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講談社
 
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黒川みつひろ 作絵「恐竜トリケラトプスと巨大ガメ」

2016-06-21 15:25:18 | 作品論
 この本でも、アーケロン(体長4メートルにもなった恐竜時代の巨大ガメ)を初めとして、いろいろな動物(時代を恐竜時代末期に設定しているので、恐竜以外にも様々な動物を使えます)が登場します。
 読者と交流するコーナーもあって、なかなかの人気だったようです。
 巻末の似顔絵コーナーの投稿者によると、幼稚園から小学校低学年の男の子が読者の中心のようでした。

恐竜トリケラトプスと巨大ガメ アーケロンの海岸の巻 (恐竜の大陸)
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小峰書店
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