現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

佐藤宗子「「成長」という名づけ」――児童文学における読者の期待と読書の満足をめぐって」

2018-09-16 09:07:54 | 参考文献
 日本児童文学1995年9月号の「<成長テーマ>を問い直す」という特集の中で発表された論文です。
 児童文学において、オールマイティ的に扱われてきた「成長」という語を見直しています。
「「成長」。――まるで強迫観念のようにそれを読み取ろうとする、読者。」
と、佐藤の「成長」に関する読者論が始まります。
 読者が「読書体験」を肯定的なものにし、また媒介者が「児童文学」をすすめるのもその「読書体験」が肯定的なものであることが大前提だとして、以下のように述べています。
「媒介者からの示唆も含め、読者の中にそなえられた「成長」という概念は、「児童文学」を読書する際に「期待」としても機能し、「満足」としても働くことになるのである。」
 「変化」を「成長」と捉えられるわかりやすい例として、ノーソフの「ヴィーチャと学校友だち」、八束澄子の「青春航路 ふぇにっくす丸」、薫くみこ「十二歳の合い言葉」をあげています。
 しかし、村中李衣の「デブの四、五日」(『小さいベッド』所収、詳しくはその記事を参照してください)や川村たかしの「昼と夜のあいだ」所収の短編のように、「変化」の過程そのものは描かれず、前後をつなげば「変化」は確認できるが、その途中に空白があり、それが「成長」と読まれる作品も多いことを指摘しています。
 作品の最後に「空白」がおかれた例として、後藤竜二の「少年たち」や「14歳―Fight」をあげて、「それを事態解決への「予感」とし、やはりそこに、個人の、ないし人間関係の「成長」を認めようとするだろう。」と、読者が、自分の「読書体験」を空無にしたくないからだと主張しています。
 「幼年向の作品の場合、読者は、もう少し容易に「成長」を読むことができる。」としています。
 例えば、松谷みよ子の「小さいモモちゃん」では、「一話ずつの中で「成長」の過程が描かれているわけではないのに、短編集としては「成長物語」になっている。」と、指摘しています。
 その一方で、幼年向けの作品が、「「成長」が繰り返される、「遍歴物語」となっている。」場合もあることにも言及しています。
 そのことは、児童文学全体にも言えて、読者がいろいろな作品で「成長」を読み取ろうとして、読書の満足の「遍歴」化に陥っていく状況も指摘しています。
 そこで、佐藤は、「「成長」という名づけをいったん停止する」ことを提案しています。
 例えば、「「成長」の記号で読まれることが少なからずあったであろうル=グウィン「ゲド戦記」やペイトン「フランバーズ屋敷の人びと」のシリーズ」を、別の視点で読み直すことによって、「陥っていた読書の満足の「遍歴」化から脱けることができるのではないだろうか。」としています。
 他の「成長」の例として、しかたしん「国境」や神沢利子「銀のほのおの国」をあげ、それらと異なり「「成長」を読むことを拒む構図を、備えている」作品として、内山安雄「樹海旅団」をあげています。
 また、「作者―作品―読者のあり方そのものを変える、そのなかで「成長」観を変えることをはかる」作品として、水野良「ロードス島戦記」をあげて、読書のしくみそのものの見直しの問い直しを提案しています。

「現代児童文学」をふりかえる (日本児童文化史叢書)
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