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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-10-06 07:56:13 | Weblog

2009年10月06日

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「マルタ」・「アジアの犠牲者」の叫び!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 大日本帝国は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くて自国の力だけで開発できる兵器を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍・天皇が耳を傾け、そしてそれを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをしながら、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、昭和天皇・軍部がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。
 ソ連が石井の引渡しをアメリカに要求した時、アメリカは貴重な?データがソ連に渡ってしまうことを恐れ、先にそのデータを独り占めし、遅れていた自国の細菌戦研究に役立てたいという方針から、はした金で買い取り、戦犯免責にしたと、ある本には書いてあったが、私が思うに、これが東京裁判で裁かれようものなら、その残虐な事実が国民の前に公表され、天皇の戦争責任まで発展しかねないからではなかったのか?
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力に頼っていたのは事実だと思う。
その天皇を戦犯からはずすためにも、731部隊には触れたくなかったのではないか?
 その結果、東京裁判では731部隊のことが取り上げられず、国民に長いことその存在が白日の下にさらされることはなかった。
 それ故、国民の前に情報が公開されなかったのだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行をいまだに認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)

 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
首を切っても頭は動く(田中証言)
 赤沢さんに、生体実験、生体解剖とクロロホルムの関係を聞いてから、もう少し詳しく真実を知りたかった。私は、731部隊の資材部にいた大尉の田中さん(仮名)から話を聞いた。

 普通、人間の解剖だと初めに布をかけ、執刀者は必ず手を合わせて拝む。わざわざ材料を提供してくれたことへの感謝と、成仏を祈るのと合わせて、必ずおまいりしてから、解剖にかかる。屍体の場合は屍素が出て、傷にでも入ると大変だから、必ずゴム手袋をつける。解剖が終わると、取り出したものを調べた後、もう一度つめる。ホルマリン漬けにする場合は、他のものを入れて腹部を縫い合わせる。 あの内臓を取り出したガランとした胴体、ピクピク動いている臓器、とても気持ちが悪い。まことにひどいもんだ。残った残骸は、土がめに入れて終わり。
 南満の独立守備隊でもこんなことがあったのだから、731部隊ではそれより周到に、生体解剖はあったと思う。クロロホルムで麻酔をして、生きたまま解剖するというのはあり得る事だと思う。731部隊は軍属だから高齢の方が多いと思う。屈強な兵隊でも押さえ切れなかったのだから、クロロホルムで麻酔させてするしかない。(明日に続く)

※田中氏が731部隊に行く前の南満州での出来事である。中国各地で日本軍軍医のいるところ何かしら生体解剖に近いことが結構行われていたようだ。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。

  
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

薛世金(男、71歳)の証言
 
 妻がその光景を見て、わなわな震えながら這い上がって来ました。日本軍は有無を言わせず、妻に一太刀浴びせました。その一太刀が首を斬りつけ、妻は目がくらんで血の海に倒れました。彼女が気がついた時、日本軍はもう行ってしまっていました。彼女が泣いて私の名前を呼び、そのすさまじい叫びを私が聞きつけて、走ってきて見たら、何とまあ!私は心痛んでたまらない思いでした。私は大急ぎで気息奄々(きそくえんえん)の妻を鼓楼医院に入れ、母の死体を棺に収めました。
 明くる日、私は日本軍に捕まって人夫にされ蕪湖まで連れて行かれ、その厳重な監視下では、どうにも抜け出せませんでした。8日目になって、敵の油断している隙に乗じて、南京へ逃げ帰って来ました。医院に跳び込むなり、妻がもう死んでしまったと誰かが言うのを聞きました。妻はその時まだ身ごもっていたのです。私は悲憤にかられ、心沈んで悲しく、絶望し、いろんな思いが入り交じって一つになり、いつの間にか空っぽになった家にかけ戻っていて泣きに泣いたのでした。それからは、たった一人で、孤独に何とか暮らしているのです。(高秀蘭と王文清と葉雲が記録) 

※愛しい2人の身内の者を無残に殺された夫の心情は察するに余りある。やっと、日本軍にこき使われた人夫仕事から必死に逃れて、妻を見舞ったらこの有様だ。さぞ、絶望しただろう!!(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

参考ホームページ

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

軍隊のお金をみんなの

暮らしのために使う世界


世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに次のような目標を達成するとしています。
●極端な貧困や飢餓をなくす(1日1ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。
 こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人々の暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
 国連憲章には、「世界各国は軍事費に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条を今こそ実行し「軍事を減らして人々の発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人々の中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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