細菌戦の系譜!!

2020-09-14 12:23:19 | Weblog

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

1  広島への最初の旅

 

記者章をシャツの衿に付けている僕は、どこでも閉め出されてしまう。閉め出された記者達、早く到着しすぎた参加者たち(早すぎる?しかし今日の午後には平和行進の人々が広島に入って来るし、夕暮れにはその歓迎集会がある、と彼らは反発する)、それに原水協の常任理事たちまでが、途方に暮れて廊下をうろうろしベンチに座り込んで嘆息したりしているのだ。そしてみんな挨拶の言葉のように、≪いかなる国・・・・≫とつぶやいている。それは最初、≪いかなる国の核実験にも反対する、という例のテーマが相変わらずの癌なんだよ≫というような言葉だったのだろう。しかし、今や誰も彼も≪いかなる国・・・≫とだけ憂わしげにささやきがあっては嘆息する。≪いかなる国・・・・≫、ここは、いかなる国、死者の国、他人どもの国?僕は夜明けの荒涼たる無人の印象と旅行者たちの身震い思い出す。

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編

序ー 731部隊がいかにして作られ、またいかにして歴史の闇に葬られたのか?

 

 部隊は八つの部と、ソ連国境の要衝に置かれた四つの支部で、それに大連支部から構成されている。部隊の中心部に2棟の特設監獄があり、38年には“特移扱”(特殊移送扱い)という都合のよい手続きを作ったて、各地の憲兵隊から、思想犯や浮浪者、アヘンの中毒者に至るまでを“マルタ”(被実験者)として「裁判に附さず、事件送致せず」に続々と送り込んで監禁し、自在に研究に使っていた。“マルタ”は中国人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人らで、ときには女性や幼児まで含まれていた。 

 

 

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 

 

三田正夫自筆供述書(1954年6月22日)

 

 

しかしこの機関の研究内容と陰謀については、私は知らなかったので、私の送った人達は松花江の方に移送されたとばかり、ずっと信じていた。1949年10月頃、ソ連の日本人戦犯に対する尋問で、寛城子の陰謀機関(100部隊)も細菌実験をしていたことを初めて知った。そこに私は大勢の中国人を送り込んだのである。何人を送り込んだかはあまりはっきりしないが、司法科の報告から推測すると、平均して1ヶ月か2ヶ月に1回ずつの割合で、1回につき最低7、8人だったようだ。このほか、私が自分で許可を下して送った人もいた。例えば1944年3月頃、「満洲映画」の脚本家李季楓の捜査のために、同時に多くの脚本家や俳優、及びその関係者を逮捕したが、特務科長が、その中の一部を憲兵隊に送るよう提案したので、私はこれを許可した。ここから見るに、送られたのは決して、単に失業者のみではなかったのである。このほか、重大な刑事事件の関係者の中にも送られた人がいた。

 

(1)119―2、763、3、第3号

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

 

 

 

 6 日本海軍の毒ガス研究

 

陸運から教わる

 

 そして、1923(大正12)年に海軍技術研究所研究部内に化学兵器研究室(室長・金子吉忠造兵大尉)が設置されて研究が始まったが、9月の関東大震災により技術研究所は大きな被害を受けた。化学兵器研究室は焼け残った建物を利用して研究を再開するが、翌年には特殊化学兵器研究費が交付されて研究が進展する。海軍の毒ガス研究員は、久村砲兵中佐が陸軍科学研究所で行った講義を聴講するだけでなく、陸軍科学研究所がメッツナーを招いた時も、この講義に参加して知識を獲得した。一般的に陸海軍は不仲で有名だが、毒ガスに関しては親密だったのである。

 

 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

 

  死の谷踏査記

 

 ひとつの石碑の近くで、案内役がスコップで雪をかき分けると、様々な形の砲弾が次々に姿を現した。ゴタゴタとそこに横たわっている。数十年間風雨にさらされ、弾体の本来の灰緑色はもはや存在せず、黄褐色のまだらな錆がこれにとって変わっている。砲弾の信管は既に取り外されているため、弾体のてっぺんには丸い穴がある。軍事面の常識として、これらの砲弾が起爆する可能性のほとんどないことは私たちも知っている。しかし弾の中の毒剤は半永久的に効力を失うことがなく、何時でも流れ出てきて傷害を起こすかもしれないのである。1つ1つの黒い穴は、罪なき庶民に向かってパックリと開いた大きな口ではあるまいか?

 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

糧穀の略奪

冷酷非情な取り立て

 

引地 章(ひきじあきら)

警察署長 警正

(略歴)

学歴 高等小学校卒業

所属 旧満国 図們警察署

年齢 54歳

 子どもは泣き叫ぶ、腰の曲がった老婆は押しひしがれる。荷物は鞄、小箱、風呂敷、布団の類だが片端から解かせて検査するので相当時間がかかる。白麺5斤、粟10斤、餅キビ3斤、白米8斤、朝鮮人の飴10斤とか、高粱米10斤、小豆5斤、餅子20個などが出た。予想外の獲物だと引地は、餌にありついた狼のように、前の車へ行ったり後ろの車へ行ったりして、それを開けろ、これをやれ、口やかましく指示して、どうだと言わんばかりの自慢顔をしていた。この暴圧に、引っかかったものは合計12名であった。 劉署長は恐る恐る、「軽微な者は帰してはどうですか、警正殿」と、言った。引地は目を吊り上げ。「黙れッ、全部署へ同行するんだ。経済保安主任が取り調べをやれ。後で情況を聞くことにする」と、警察署へ同行させてしまった。12人の人たちは代わる代わる劉署長や経済保安主任に、品物は出しますからバスに乗せて帰してくださいと、頼んでいたが、県の県正が許さぬからと叱りながら連れて行ったのである。

 
 

 

 

 

 

 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 


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