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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-08-11 06:15:04 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
731部隊
『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)細菌生産者たちの恐怖
こうした作業と並行して、一日のうち半分は衛生学の講義が一週間も続いた。中には、細菌学のようにかなりむずかしい科目もあり、最低でも現在の高校卒ぐらいの学力が必要で、私はなかなか理解できなかった。
 また、寒天で培養しているシャーレの蓋を外した瞬間、雑菌がパッと増殖することも知り、大気の中に充満している菌も意識するようになった。「作業中は決してつばきを飲み込むな、はき出せ」と言われ、それまで平気で食べていたものを食べられないような恐怖を感じた。
 作業中に転んで、細菌におかされて死んだ人もいた。それは私たちの班の責任者の、伊藤技手という陸軍軍医学校出の人だった。伊藤さんから私は、細菌学の基礎や取り扱いを教えてもらった。当時彼は、32、3歳の若さで奥さんと2人の子どもがいたが、奥さんの悲しみようといったら見ていられなかった。
 私たちは飛行場の隅の草むらで薪を積み、トタンをかけて、遺体を火葬にした。同時に官舎や第4部関係の作業所・事務室などは大掃除と消毒が大々的に行なわれ、故人を偲んで感傷に浸っている余裕などなかった。兵器こそないが、まさしく戦場だったのだ。改めて、細菌生産は犠牲者が避けられない作業だと知らされた。
 私の記憶によれば、731部隊全体2千人の中で、年間20名近くの者が細菌感染による犠牲者となっていたはずだ。細菌生産・細菌実験は、見えない悪魔との不断のたたかいだった。絶えざる緊張が必要であり、油断や手抜きは一切許されないのである。私たちは、次は自分の番かもしれないという恐怖に、いつもおどおどしながら、働き、暮らしていかねばならなかった。(明日に続く)

※細菌兵器を作る方も、それは緊張しておどおどするだろうが、被験者はそれ以上の苦しみを味わった。細菌兵器を作るほうはそれなりに、油断なく防御すれば生き残れるが、被験者は必ず苦しみながらうめきながら死んでいった。その苦しみは言語に絶するものがあっただろう。大日本帝国を作るために昔の日本はこのようなことに巨費を投じたのだ!!天皇の軍隊の正体!!(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南京大虐殺     
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
周興前(男、80歳)の証言
 1937年には、家は五福巷34号で、父は周栄といいました。日本軍が南京を占領した時、父は年老いて難を避けには家を離れたがりませんでした。日本軍が家に闖入し、老人を捕まえ、ホアクーニャン(=若い娘)をと要求し、いないと言うと、日本軍は銃を振り上げて老人を虐殺したのです。老人は死んでからも目が大きく見開かれ、閉じられませんでした。
 日本軍が南京を占領してから、その南京の統治を強化するためにと、中国人誰しもが「良民証」をもらいに行くようにさせました。良民証を貰っている時に行くのがちょっと遅れた人がいて、みんなの前でこん棒でぶち殺されました。私が貰いに行った時に一緒に来た人たちと何か話していたら、日本兵に見つかり、その場でこん棒で頭をなぐりに来たので、私は逃れ切れないと見て、ふんばって頭で受け止めるしかなく、そうやってぶち殺されなかったのです。今、年を取って、曇った日には頭が少し痛いです。
 その頃、私は掃帚巷のこの街が日本軍に殺された中国人の転がったのでいっぱいで、歩こうにも足の踏み場が見つからない状態なのを眼にしました。(池○と高学奎が記録)
※○・・・日本の漢字に変換できない漢字

憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より

世界は、

9条をえらび始めた。


・平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
(アメリカ、40代・女性)

・日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私はとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。(ベルギー、40代・男性)

・日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
(インド、50代・女性)

・私の地域では、たえまない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。(レバノン、20代・女性)

・武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器をもたない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常に素晴らしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
(コスタリカ、60代・男性)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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