「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

パキスタン等でのキリスト教徒迫害(p428~)

2012-12-03 21:50:48 | アジア
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 パキスタンでも事態は同じく悪い。ラホールの代表的神父エマニュエル・アシーが告発するように、夷教徒は常に差別の対象だ。2007年8月には「翡翠の眼陀羅」ペシャワールで夷教徒集団がジハーディに「数日以内に改宗せよ。さもなくば、貴様らの植民地を壊光する」と脅迫されたため、宗教活動を自粛した。6年前の10月28日、日曜礼拝中に18人のキリスト教徒が処分された前例もある。アルカイダは「キリスト教徒を2人殺せ。米国のアフガン攻撃で討滅されたムスリムに復讐するのだ」と叫んでいた。
 個人中傷も酷い。キリスト系の女教師カドヘリン・シャヒーンがイスラムに改宗するのを拒んだところ、「どうなるか分かっているのか」と脅された。間もなくシャヒーンは涜神者にされ、顔写真付きの画報がモスク中に貼り出された。「死刑宣告そのものでした。前には校長先生が殺されています。ムスリムにとって涜神者を殺すのは義挙なのですから」結局シャヒーンは米国に亡命できたが、父兄は逮捕され、父は死んだ。若き娘は誘拐強姦の上、お兄ちゃんたる新夫にイスラムを受け入れるよう迫られるという。
 
 それ以外の地での夷教浄化

 同様の消息はイスラム世界中で絶えない。ガザ地区、スーダン、ナイジェリア等だ。ナイジェリアではシャリーアの名の下で不適切とされたキリスト教徒の女学生たちが鞭光される。2001年には中部のジョスの街でムスリムが暴走し2000人以上の夷教徒を殺した。[ボコ・ハラムなど]イスラム組織は夷教徒の数を無視して全土にシャリーアを適用させようとしている。
 中東唯一のキリスト国だったレバノンでもキリスト系有力政治家が抹殺され続けている。2007年9月にはベイルート郊外でファランジスタ党のアントワーヌ・グラネムが爆殺された。このままではマロン派などキリスト勢力は衰滅する一方だろう。
 アルジェリアでも事態は酷い。1996年にはオランで宗教の対話を進め、イスラムへの深淵なる知識から「ムスリム司教」と親しまれていたピエール・クラヴェリが殺された。
 マラウィでは2002年、2人のキリスト教徒がムスリムに石打ちされ、斧を持った首領たちに集会を止めんと殺して故郷に送ると脅された。
 バングラデシュでは1998年4月、イスラム団体に煽動された群衆が聖フランシスコ・ザビエル女学校や教会等を襲撃し、聖職者に死の脅しをかけた。これは教会に隣接するモスクが土地を拝借しようして起こした謀略的な騒擾だったという。7000人の暴徒が拡声器を通して「モスクが夷教徒たちに侵略されている」と煽動した。女学校に侵入した暴徒は十字架やマリア像を壊し、寮を掠奪したという。
 リビアのカダフィ大佐も不寛容だ。1969年の革命後、信仰の自由を謳う憲法に反して大半の教会が閉鎖された。イタリアやマルタ系のカトリックを追放して聖堂をモスクに改造した例は多い。
 北キプロスの教会から略取されたイコンは、ギリシア闇市場の名物になった。トルコ人は教会を世俗目的に転用した。4世紀以来のサン・マカル修道院は宿房化された。キプロス人が入れるかどうかは洞燭してほしい。
 トルコの私兵団は、キリスト教徒を国内から根絶しようとしている。例えば南西部のテュル・アブディンでは過去50年間でキリスト教徒の人口が15万から2000人にまで激減した。トルコ政府はイスタンブールの大司教をトルコ人にするよう求めているが、最後の修道院が閉鎖した後では、司教体制を破壊する意向しか見出せない。
 インドネシアには冒頭に挙げた事件以外も存在する。1998年ジャカルタで13の教会が焼かれた時は、「夷教徒を殺せ!俺たちムスリム紳士団、奴らはキリスト豚々団。警官さん退いてくれ、イスラムの義光を輝かすんだ!」
 2004年からの3年でジハーディに焼かれた教会の数は110に上る。キリスト教徒の慈善活動はイスラムとキリスト教の真名の違いを示す寓話になる。幼子基督修道女団はジャワ郊外のシレデュクの街に入るなりムスリムの投石を受けた。修道女団は返礼として学校や老人施設、児童癒施(ケアセンター)を建てた。
 しかし、最も悪質な事例は2005年、ポソの街でジハーディ集団が女子児童3人を斬首した事件だ。戦慄すべきこの事件で首謀者の受けた刑は懲役20年だった。
 サウジの夷教抑圧は実に凄まじい。外国人でさえ驚愕の宗教法制を適用される。1979年、フランスの国家憲兵隊治安介入部隊(GIGN)がカーバ神殿に向かった時は、自分で要請したにも関わらず隊員にイスラムへの改宗儀式を行わせた。赤十字もまた、象徴たる十字架を掲げて活動することはできない。クリスマス歌を歌ったり、背景にダヴィデ星が写っている写真を保持していたりしていただけの米国人がイスラム警察(ムタワ)にジッダで捕まり、中世式の牢獄で拷光された例もある。また、アムネスティによるとジョージ・ヨセフというインド人が2000年、カトリックの讃美歌カセットを持っていた容疑で逮捕された。
 2003年、サウジ政府は国内に教会を決して建てさせないと再宣言した。国防相でもあるスルタン王子は「例え自分の襟首を締めようとも、預言の源泉たるこの国に教会は建てさせない。決して矛盾はない」と宣言した。米軍などの不満に対しては、「あいつらは火病者だ。未来永劫この地に教会はできない。教会を求める者は恥じ入るが良い」と答えた。2008年に教皇庁がサウジに教会を建てるため交渉中という消息が流れた時、知識人アンワル・アシーキはアル・アラビア電視台でこう答えた。「交渉に応じることはできよう。教皇庁がムハンマドを偉大なる預言者様と認めればな。そう彼らに伝えた」
 サウジの行動は「我はいずれアラビア半島から啓典の民を追放し、ムスリムだけの土地にする」というハディースの言葉に基づいている。マッカやマディーナ周辺の地域に夷教徒が住むことはできない。サウジの高速道路には実際に、聖地よりかなり離れた場所から「夷教徒よ、ここから出よ」という看板が掛かっている。

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