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多くのキリスト教徒が自衛権は非聖書的と看做しているようだが、それは与否なく誤りだ。旧約聖書から反例を引こう。出エジプト記によれば、
盗人が壁に穴を開けたところを見咎められ殺されたとしても、殺害者は無罪である。但し、太陽が昇っていた場合は身売りしてでも補償する責任が生じる。
つまり、家に入った盗賊をその殺意など関係なく殺しても良いのである。これは自衛肯定そのものだ。だから、イスラエル人もまた自衛権を認められていた。
ダビデは兵士に告げた。「劍を帯びよ」そして、各自劍を採り、400名がダビデに同行し、200名が荷物置き場に留まった(サムエル書 帯劍の肯定)
新たに多神を選ぶと、城門に戦火が迫った。イスラエル4万人民は盾や鑓を見ていたのか?(士師記 これは自衛を放棄し、非武装平和した愚国への警鐘だ)
主に讃えあれ!我が手と我が腕に戦闘術を教示せし主を (詩篇)
これのどこが反戦的だろう?神は旧約聖書中で一貫して自力による先軍精神を説いているし、信者も当時最新鋭の武器を手にしている。
その武器が劍だ。新約聖書でも、イエス・キリストは劍を購入して武装するよう使徒たちに教示している。
「財布や袋のある者はそれを持って行きなさい。劍なき者は服を売ってでも劍を買いなさい」――ルカ福音書
「劍を納めよ。劍を取る者は皆、劍により滅びる。私が父に請願できぬとでも思うのか?父は即座に十二の天使軍団を派遣できる。だが、それでどうやって必定を定めし聖書の言葉を顕現できようか?」――マタイ福音書
この御言葉を文脈通りに解釈すれば、自衛肯定であることが分かるだろう。イエスはペテロに対し、ここで戦闘したらハラキリすることになり、十字架で自らを磔刑させ復活させる神の計画が台無しになると説いたのだ。鞘に納めよとは劍を捨てよという意味ではない。イエスは使徒に自衛するよう説いた。つまり、「ペテロ、今は戦う時ではありません」と説いたのだ。
これを我らの対イスラム多文化主義戦争に置き換えた場合、これは自衛のスゝメとなる。我らは街が灰燼になろうとも勝利し、再建を進めねばならない。エルサレムの城壁を再建したネヘミヤの兵士のように。
城壁を再建する者は、片手に武器を持ちながらモッコ運びをした。建築作業者も腰に劍を帯びて作業した。
キリスト教と先軍なる自衛
ダビデのゴリアテ弑逆を筆頭に、神は戦争や暴力を賛美している。イスラエル人に対して、神は約束の地での三光を命じたものだ。
しかし、そこには賢明さも必要だ。前項のイエスの自衛肯定文は自身が連行される直前のものだ。つまり、使徒に自衛権を与えたのだ。「劍により滅びる」という警句もイエスを連行しようとした官吏の耳をペテロが斬った時に発せられた。何故か?戦うべき時ではなかったからだ。自衛闘争は適時に行われねばならない。これは前項の出エジプト記の泥棒死罪の箇所にも当て嵌まる。日中でも自衛闘争は可能だが罰せられる。しかし、夜間に自衛闘争した場合は罰せられない。
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多くのキリスト教徒が自衛権は非聖書的と看做しているようだが、それは与否なく誤りだ。旧約聖書から反例を引こう。出エジプト記によれば、
盗人が壁に穴を開けたところを見咎められ殺されたとしても、殺害者は無罪である。但し、太陽が昇っていた場合は身売りしてでも補償する責任が生じる。
つまり、家に入った盗賊をその殺意など関係なく殺しても良いのである。これは自衛肯定そのものだ。だから、イスラエル人もまた自衛権を認められていた。
ダビデは兵士に告げた。「劍を帯びよ」そして、各自劍を採り、400名がダビデに同行し、200名が荷物置き場に留まった(サムエル書 帯劍の肯定)
新たに多神を選ぶと、城門に戦火が迫った。イスラエル4万人民は盾や鑓を見ていたのか?(士師記 これは自衛を放棄し、非武装平和した愚国への警鐘だ)
主に讃えあれ!我が手と我が腕に戦闘術を教示せし主を (詩篇)
これのどこが反戦的だろう?神は旧約聖書中で一貫して自力による先軍精神を説いているし、信者も当時最新鋭の武器を手にしている。
その武器が劍だ。新約聖書でも、イエス・キリストは劍を購入して武装するよう使徒たちに教示している。
「財布や袋のある者はそれを持って行きなさい。劍なき者は服を売ってでも劍を買いなさい」――ルカ福音書
「劍を納めよ。劍を取る者は皆、劍により滅びる。私が父に請願できぬとでも思うのか?父は即座に十二の天使軍団を派遣できる。だが、それでどうやって必定を定めし聖書の言葉を顕現できようか?」――マタイ福音書
この御言葉を文脈通りに解釈すれば、自衛肯定であることが分かるだろう。イエスはペテロに対し、ここで戦闘したらハラキリすることになり、十字架で自らを磔刑させ復活させる神の計画が台無しになると説いたのだ。鞘に納めよとは劍を捨てよという意味ではない。イエスは使徒に自衛するよう説いた。つまり、「ペテロ、今は戦う時ではありません」と説いたのだ。
これを我らの対イスラム多文化主義戦争に置き換えた場合、これは自衛のスゝメとなる。我らは街が灰燼になろうとも勝利し、再建を進めねばならない。エルサレムの城壁を再建したネヘミヤの兵士のように。
城壁を再建する者は、片手に武器を持ちながらモッコ運びをした。建築作業者も腰に劍を帯びて作業した。
キリスト教と先軍なる自衛
ダビデのゴリアテ弑逆を筆頭に、神は戦争や暴力を賛美している。イスラエル人に対して、神は約束の地での三光を命じたものだ。
しかし、そこには賢明さも必要だ。前項のイエスの自衛肯定文は自身が連行される直前のものだ。つまり、使徒に自衛権を与えたのだ。「劍により滅びる」という警句もイエスを連行しようとした官吏の耳をペテロが斬った時に発せられた。何故か?戦うべき時ではなかったからだ。自衛闘争は適時に行われねばならない。これは前項の出エジプト記の泥棒死罪の箇所にも当て嵌まる。日中でも自衛闘争は可能だが罰せられる。しかし、夜間に自衛闘争した場合は罰せられない。
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