「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

カリフ国家への霊夢(p543~)

2012-12-25 23:03:52 | イスラム史批判
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 イスラムは民主主義と共存可能というムスリムの中には、コーランやハディースの原義からは乖離しきった解釈を提示する者もいる。
 テキサス・イスラム施設のアシュ・シンキティいわく、「コーランにもアル・ムダファーフという均衡と抑制に似た腐敗を防ぐ概念がある。2章251には、「我(アッラー)が人間を相互監視するよう造作しなくば、大地畢竟腐偽に満ちたり」とある。
 しかし、[前の条文を読む限り]、このムダファーフは夷教の侵蝕を除外せよと解釈すべきであって、決して米国憲法のような抑制と均衡を唱えているわけではない。
 通常は民主主義の基盤と解釈されるシューラの場合はどうだろう。一見民主的に聞こえるこれも、実は公式なものではない。チンギス・ハーンもスターリンも毛沢東も大討滅に出る前には家臣と「相談」(シューラ)したものだろう。これは飽く迄修辞であり、そこに大した価値はない。
 スンニ派は正統カリフ以来のカリフ国家の復活を訴える。1924年アタテュルクが廃止したこの概念を復興させるために、英国ムスリム協会のオサマ・サエードはガーディアン紙で「カリフ維新体制は民主主義の説明責任機関と両立する」と唱える。

 貿易障壁の撤廃や人民の自由移動さえ過激とされる現在、確かにこのカリフ維新は未だ霊夢に過ぎない。しかし、英米の民よ、イスラム世界の発展を願うなら、この霊夢を支持してほしい。大イスラム文明の光復は世界の福利なり。

 この構想は、パキスタンのドーン紙でイルファン・フサインにより一蹴された。

 まず、誰がカリフになるのか?信仰以外にインドネシア人とトルコ人が何を共有しているというのか?新カリフ国家では信仰以外にも多くの文化身份を共有せねばならない。ムスリムなら彼方先の自称カリフに自動服属するというのは、太古のカリフの考えと同じ妄想に過ぎない。
 
 ヨルダンでクリスチャン・サイエンス・モニターと会見した解放党(ヒズブ・ウッタフリール)の活動家は強盛なる統一イスラム国家による西洋征服の霊夢を語った。「イスラムはムスリムに敵を妨害する(テロるわけじゃないぞ)力を持つよう義務付けた。交渉して無理なら、ジハードを通して支配を拡大するまでだ。無明なるセカイ人民を啓蒙するために(笑)」
 解放党の関係者が2007年シドニーでイスラム国家建国のための会議を開いた時は、革命のためのクーデターまでが語られた。しかし、当局が解放党を禁圧することはなかった。
 こうした声を少数と切り捨てるのは容易だが、ロバート・スペンサーが言う通り、世界カリフ国家の霊夢を語る集団は要注意だ。

 ソ連にセカイ赤化の能力はなかったが、だからといってそうした構想を脅威としないのは誤りだ。アルカイダ等のジハーディ集団も世界カリフ国家の大志を抱いていた。彼らはセカイを紅世化する能力を有している。

 イスラム世界ではアビド・ウッラー・ジャンの『民主主義の終焉』という本が流布している。11世紀イラクのアル・マワーディによるカリフ国家のジハードへの義務を説いた後、パキスタンでジャマート・イスラムを創設した「清真の注釈者」アブル・アーラー・マウドゥーディ―の著作を引用して、こう説かれる。

 イスラム国家では全面に於いてその真名に基づいた世上改革装置が作動する。そこに公私の区別は存在しない。これは決してファッショでも全体主義でもない。イスラムの包摂力故に、中庸を知るイスラム国家は決して個を抑圧せずに、近代の抑圧装置を超克する。

 ジャンによれば、「ムスリムは決して座視せず。このイスラム国家には民主主義の王者たちがその体制内で決して果たせぬ理想郷が顕現しているのだから」とのことだ。
 このイスラム国家においては、夷教徒の討滅や服属が明言されている。ただ、新カリフの選定作法は一つではないようだ。

 偉大なる預言者様は後継者の任命も後継者の指名機関も設けられなかった。コーランもこの点はスルーしている。

 多妻の預言者は世継ぎの男子を残さなかった。そのため、シーア派の系譜によると、ファーティマ公主を4代カリフのアリーに嫁がせて預言者の血筋を護ろうとした。ファーティマは後にハッサンとフサインを産んだ。
 謝罪主義者の美辞麗句を以てしても、カリフ国家の神権独裁体制を否認することはできない。モンテスキュー流の権力分立の概念は不在だった。ウラマーには、イスラムの根本を破る主君を廃絶する権利があったが、主君はそれをスルーする権利があった。これがイスラム政治の真名なのだ。
 
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