「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

人口は王者なり(p1140~)

2013-02-23 22:05:53 | フェミニズム批判
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 生殖抑制は原始時代から行われていた。イヌイットやタスマニア人などを調査した文化人類学者によると、狩猟採集社会では収穫物以上に人口が増えないよう、人口増加への抑制策が採られていた。晩婚や性器切断、中絶、嬰児殺しの他、女に巫女や呪術師、芸術家、戦士などの職を与えて出生率を持続可能化してきた。
 原始時代には強姦娘以外の戦利品が無かったので、軍事作戦の利益も小さかった。しかし、約1万1000年前の新石器農業革命が凡てを変えた。農作物や家畜で食糧に余剰ができると、ピラミッド建築に充てるほどの人口が増え、都市文明が生まれた。それと同時に、人口過剰でなく人口不足の方が最大の脅威になったのだ。高出生社会は低出生の狩猟採集社会を掃討し、やがて帝国を生み出した。戦士の屈強さ以上に戦士の数が重要になった。
 古代ギリシアのピュロス王は前3世紀、ローマとの戦争で痛い教訓を学んだ。ピュロスはアスクルム大戦で名指揮によりローマに大捷した訳だが、ローマは「泉の如く沸く」(プルタルコス)人口力によって最終的に勝利し、ギリシアはやがて人口が減ってローマの属領になった。前2世紀ローマに屈服した頃のギリシア人ポリュビオスも人口攻勢を嘆き、安穏たる支配者層を糾弾している(ローマもまたギリシアの道を辿ったが)。
この時、人口で権力を掌握する鍵となったのが父権制だ。

 父は最上の智者か?
 父権制には様々な特徴があるが、出生率を高め次世代に父権的投資を行うところは共通している。その中で最も重要なのは、北欧で常態化している婚外子といった「違法」子孫に対する恥辱化だ。
 父権制では、次世代への男の投資を弱化させる庶子や単母(シングル・マザー)は容赦されない。庶子は父に認知されていても一族と認めてもらえない。一方で、嫡流は名誉と恥辱の対象になるため、父は子供を栄達させ、一族の系譜に加えようとする。出産圧力もより強い。父権制は同時に未婚の女を懲罰した。十数年前の英語圏でも、母親は子をなさぬ娘を自己チューな夷嬢と糾弾したものだ。父権制は同時に嫁に主婦であることを求めていた。
 確かに、父権制社会が女性の社会進出に肯定的な資本主義や嫌女性流によって衰微することもある。しかし、そんなものに屈服せぬ限り、父権制は他の制度より質量双方で優れた子息を生産できる。
 今日、父権制はDVやタリバン思想の源流と目されている。しかし、それら男独裁は飽く迄父権制の衰微した形態であって、真の父権ではない。真の父権社会が顕現していた初期ローマや17世紀の欧州清教徒社会では、子息の栄達がそのまま親の名声に直結するので、子息の教育に熱を注いでいたものだ。
 父権制社会では母からの子供への投資も増加する。これはフェミ系経済学者のナンシー・フォルブルも認めていることだ。修道女かイアンフか子を産む嫁かの3択しかない社会では、母親は子息により多くの栄達を目指すよう自然に導向される。

 父権制とその不満
 ただ、父権制の要求に耐えられない男も存在する以上、父権制も決して永続する形態ではない。初代ローマ皇帝アウグストゥスは家族先導の責任を果たさない独身貴族を罰するために独身税を導入する誘惑に駆られた。女を杯に富裕社会で独身になる果実は、父権制での特権を上回るのだ。
女もまた父権制の義務を果たさない暴君に反逆した。スザンヌ・クロスによると、ローマ内乱期、全階級の女は長期間男無しで過ごさねばならなくなったので、固有の個性や独立心を自力で発達させた。DV男との婚約は拒否され、離婚と姦通が蔓延した。
 世上の高速な変動も父権制を揺るがす。社会が全球化して先祖への名誉心が揺らぐと、生殖感まで揺らぐのだ。「精鋭層が出産を論争的問題と看做す時、分水嶺が訪れる」(オズワルド・シュペングラー)のだ。

 父権の復活
 しかし、その分水嶺はあくまで文明の死ではなく、文明の変態に過ぎない。世俗的なローマ皇族が潰えた後もローマは滅亡しなかった。嫌世俗流の父権的な一族がローマ領内に盲流し、封建欧州が始まったのだ。これは決して欧州西洋文明の終焉ではなかった。
 今日の欧州もこれと似た状態にあるのかもしれない。未婚生活、同性愛、薬物、安楽死、教会といった反父権的要素に肯定的な人間ほど子孫の数が少なくなっている。1960年代生まれのフランスで3人以上出生したのは3分の1未満だったが、カトリックやイスラムに敬虔な彼女らが過半数の子供を出産している。これはつまり、多産の文化保守が世俗で少産の個人主義者を上回り、世上を変態させることを示唆している。往時は多数派だった個人主義者が後悔してももう遅い。
 1968年代世代に少数派だった父権の親から生まれ、当代の多数派となった子息たちはやがて新たな集団反抗を起こすのだろうか?68年世代は敬虔派でも世俗派でも子の数にそれほどの差はなかったが、今日の世俗派では子無しも常識だ。つまり、文化保守の子息が多数派化することになる。無論、文化保守の子息も一部は親の価値観に反抗するだろうが、彼らは生まれるかどうかも疑わしい世俗系の子息たちと連帯するだろうか?
 文化保守の子息が増えれば、世上はより父権的に解決されることだろう。政府の福祉機能もやがて子息たちに代替され、出生率は上昇に転じるはずだ。世俗王なはずの低福祉国家ほど、父権制が復古するはずだ。その時欧州や日本の人口は激減しているだろうが、適者生存の法則により世上は代替され、父権神が個人主義を征し、偉大なるお父様に服属するよう指令することだろう。

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