「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

三、民族主義の激突(p202~)

2012-10-17 00:04:09 | 中東
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 民族主義はレバノンの興亡と大きく連関してきた。3章ではキリスト教徒とムスリムの民族主義を考察したい。民族意識の異なる者が、国家統一を保つのは難しい。なお、中東にはユダヤ人の民族主義もあるが、レバノンにユダヤ人しか数百人しかいないので割愛する。
 テオドール・ハンフによれば、キリスト教徒の民族主義ではレバノンは太古に遡る独立国家とされ、アラブ的なムスリムの民族主義ではイスラム固有の領地となる。いつからレバノンと呼ばれる地域ができたかについての論争もある。
 マルグリット・ジョンソンによれば、レバノンの民族意識は宗教の違いをもとに形成された。彼らは近東のイスラム圏から隔絶しており、西欧との関係も深かった。
 レバノンのキリスト教民族主義は生存に貢献した一方で、衰退にも関わった。レバノンのムスリムも歴史性を主張している。近年まで、キリスト教徒は「レバノンはフェニキア以来の西洋国」と教わり、ムスリムは「レバノンはイスラム世界固有の領地」と教育されてきた。多くのキリスト教徒は自分をレバノン人と考えるが、ムスリムはアラブ人と考える。ガッサン・ハージは、シャリーア的なムスリムの意識とキリスト教徒の少数派意識をこう分析する。

 キリスト教徒はムスリムの支配するこの土地で生き残るために、レバノン人としての民族意識を昂揚させた。その主権意識は、アラブやイスラムとは無縁のところで形成されている。

 こうした意識が作用して、1975年の内戦勃発までマロン派は人口増に伴う権限拡大を求めるムスリムの声に応えてこなかった。イスラムの大海の中、彼らはトルコのアルメニア人や、エジプトのコプト教徒の道を辿るのを恐れた。マロン派などのキリスト教徒はフェニキアとのつながりは意識したが、ベドウィンに自意識を投影することはなかった。
 アントワーヌ・ナジムは宗派による国の分裂を認めず、イスラム的な「大アラブ国家」に共鳴したキリスト教徒の存在を指摘するが、レバノン民族主義者はこれを拒んだ。
 詩人カリール・ジブランを米国が顕彰しようとした時の騒ぎを例に挙げる。在米中東反体制派協会が彼をアラブ系アメリカ人として顕彰しようとした時、米国マロン派協会のトム・ハーブ議長は、当時のパウエル国務長官に対し、「顕彰自体に反対するつもりはないが、ジブラン公をレバノン系としてでなくアラブ系とすることに抗議する」という声明を出した。
 デービッド・ゴードンはレバノン・ムスリムのキリスト教徒観をこう論じる。

 1、ムスリムはキリスト教体制を維持することに熱心でない。マロン派などのキリスト教徒が権力を掌握していることへの嫌悪感が強く、人口面での強みを活かして、宗派別でない一人一票制を求めている。
 2、レバノンが非アラブの国になることへの不満が強い。マロン派が十字軍に協力したことやムバラク大司教によるイスラエル称賛を非難している。
 3、キリスト教徒が外国を志向してきたことへの不信が強い。このため、アラビア語の影響力が弱まり、フェニキア人やキリスト教徒としての意識が学校教科書で中心になることに怒る。

 キリスト教徒もムスリムの世界観を大いに警戒した。アラブ民族主義は本質的にイスラム的で、社会主義的で権威的な主張を受け入れると、レバノンを培ってきた「金を生むガチョウ」が殺されてしまうと考えた。そこには一定の事実があった。
 こうして分裂状態のままの民族主義は宗教的な政党の存在により、更に悪化していった。

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