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Brugge Style
解放軍が迫るホテルで
某ブログから引っ越してきてgooブログに落ち着き、早20年以上が経った。
その間、考えてみればかなり快適に当たり前に利用していたのだったが、2025年初頭から1ヶ月間ほどgooブログは障害を抱え、見ることも書くこともできなくなっていた。
それでなくてもブログという媒体は世間的にはもう古い...特にわたしが書くような長文、読まれなくなっている。
そのため、これは何か起こるのではと手持ちのデータで引越し先を確保してはいたのだった。
今のところ「アメーバ」を緊急避難先として、今年1月までの記事を上げてはいる。
拙ブログは、未来の自分自身を最初の読者と設定しているので(最初は日本にいる友達に向けて書いた)、保存は個人的にとても大切なのだ...
そしてとうとう数日前、「2025年11月をもってgooブログのサービス終了」とのお知らせが来た。
立ち退きが現実になり、各ブログサービスの仕様を好みで改めて比較して、今後はおそらく「はてな」に移動して使い続けようと思っている。
(あなたはどちらに?)
早速「はてな」にに引きついで、gooブログは解約すればいいかと思ったとき、何の折だったか友達が話してくれた映画のシーンを思い出した。
「詳細は覚えていないんだけど、世紀末か20世紀の初め、解放軍が迫る街の古びた豪華なホテルからエスタブリッシュメント客がわれ先にと逃げまどう中で、そこで出会って恋に落ちた男女が行き先を失ってそのまま最後までそのホテルに留まる...そのイメージが忘れられないの」
古く複雑なホテルは記憶の殿堂の象徴でもある。
というわけで、11月の閉鎖まで、こちらでも書き続けようと思っている。
「はてな」に完全移行したら、引越し先はこちらでお知らせいたします。
そちらも時々ご訪問いただけたら幸いです。
引き続きご覧になってくださる方々には何か小さなお礼がしたいな...と。
今年の冬、日本へ一時帰国した時に英国紅茶でもお送りしようかしら。現実的だろうか。
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ルネサンス前夜のシエナで光る
比較的大きく、127×120 cm。シエナ国立博物館蔵。
ロンドンのナショナル・ギャラリーで、14世紀イタリア『シエナ派:絵画の夜明け』Siena: The Rise of Painting, 1300 ‒1350特別展が開催されている。
ドゥッチオ
シモーネ・マルティーニ
アンブロージョとピエトロ・ロレンツェッティ兄弟
...らによる「脱ビザンチン」の動き。
先日は、パリのルーヴル美術館で、ほぼ同時代にトスカーナで脱ビザンチンを試み、見事な成果をあげたチマブーエの特別展を見たばかりだったので、楽しみはひとしおだった。
チマブーエが、ビザンチンでは顧みられなかった(なぜならビザンチンのイコンは、神性の単なる受信装置だったから)物理的空間や人間の身体にリアリズム的アプローチを試みたのに対し、シエナ派は装飾性とストーリー性を描き込むことによって、ビザンチン様式を脱する方向へ動き、国際ゴシックとも関係しつつ、ルネサンスへの道を切り拓いた。
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
ドゥッチョの代表作、『マエスタ』との類似。赤ん坊らしい仕草の「人間イエス」
下:ドゥッチョ 三連祭壇画『キリストの磔刑、聖ニコラ、聖クレメンス』(1311ごろ)
ボストン美術館蔵
この2幅のトリプティックは対で制作されたもので、この度数百年ぶりに隣り合わせに展示された
シエナ派といえばドゥッチョだろうと思っていたものの、展示作品のなかでもわたしが驚愕し、その前を動けなくなったのは、一番上の写真、アンブロージョ・ロレンツェッティの『受胎告知』(1330年代)だ。
西洋美術史を通して何度もくりかえし美しく描かれたた聖書の名場面、わたしはこの作品に最優秀賞の薔薇の花を捧げたい。
見ているだけで穏やかで晴々とした気持ちになるだけでなく、この作品でアンブロージョ・ロレンツェッティが、ルネサンスの方向を決定づけた(うちのひとり)と感じるからだ。
なによりも精神性にあふれている。
大天使ガブリエルと、聖母マリアの唯一無二の精神の表現、骨格の理解、身体の重心の取り方、遠近法(未熟だが)、どれもすばらしい...
単に神学的な主題を視覚化したにとどまらず、人間が個人として「内面の覚醒」をひきうける様が、近代的な人物表現を示しているとはいえまいか。
聖母マリアは麗らかに歌っているようだ!
後世の作品を含め、多くの受胎告知図では、大天使ガブリエルは天使らしく大仰に強制的に現れ、聖母マリアは伏目がちに拒否の姿勢を取ったり、大袈裟におどろいたり、おびえたり、ひたすら祈ったり、とにかく受動的な動作をする。
しかしこの作品ではマリアのポーズは決して受動的ではなく、選ばれることを知的な喜びとともに引き受ける主体的な人物として描かれている...ようにわたしには見える。
マリアは大天使を見ていない。この大天使はなくてもいいくらいだ。それほど彼女は個人で栄光を引き受ける覚悟をしている。彼女は驚いていない。彼女は恐れていない。
この澄み切った美しさよ!!
また建物の構造や空間の奥行きも、遠近法は正確ではないものの、それまでのような単なる金色の装飾ではなく、人物の精神性を支える「論理的枠組み」として、ダブル・ミーニングとして、機能しているようにさえ見える。
聖書のエピソードの「コピー」描写を超え、「瞬間の内的な深さ」を描いた作品だと思う。
写実でも装飾でもなく、人物が固有の内面を持ち、その変化が外に現れる瞬間。
何百年もあとのバロック期でカラヴァッジョが(それまで聖書の登場人物が啓示を受けての変化は、天使の姿や、眩い光や、父なる神の姿で「外側」に描かれていた)、啓示を受けての変化をひとりの人物の内面の変化として画面に描ききったように。
まさに14世紀における精神と身体の統一的表現の極致。
しかも、彼は宗教画を超えて政治・倫理・社会のヴィジョンを絵画に現したとさえいえるのだから、「ルネサンス人」(「普遍人」「万能人」)を先取りしているともいえないか。
閉館の6分前までここにいました。
シモーネ・マルティーニ『カペラ・デイ・シニョリの祭壇画』(1326年ごろ)。
一枚一枚が世界中の美術館に散らばって所蔵されている。
マルティーニの優雅さ、好きだ。
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真春の夕の夢 桜色
ロンドン、青天続いています! 大青天祭。
今日は23度まで気温上昇の予報。
昨日、夕暮れのロンドンをうろうろしていたら、レンガの建物が桜色に染まっているのに見惚れてしまった(上の写真より、肉眼で見るとずっとピンクの桜色だった)。
まるでPolyptych、多翼祭壇画のようだ...
天気がいい夕暮れ時、ロンドン(には限らないが)では、あるスポットスポットでざわざわした大きな話し声や笑い声が建物に反響するのに気がつく。
その角にはパブがあるのだ。
仕事帰りの、いかにも有能な綺麗な髪の女性や、仕立てのいいスーツを着たビジネスマンが屋外で一杯やっているのである。階級社会を反映してか、まあ場所によって人の服装や雰囲気はずいぶん違うんですがね...
この、桜色の、暗くなるまでの一瞬の時間帯、一攫千金。
暗くなったらこの一瞬を思い出しながらBGMはSir Roland Hanna Trio Apres un Reve『夢のあと』。
わが家の八重桜は前回お見せしたようにまだこれからだが、ロンドンの八重桜は今が見事な満開、どこもかしこも、ピンクの鞠が下がっているかのように美しかった。
昨日はナショナル・ギャラリーの特別展を見た。
この話は次回...
桜色の美しい祭壇画。
14世紀、イタリアはシエナで活躍したピエトロ・ロレンツェッティの作品...
トスカーナ州アレッツォのサンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会にある『タルラティ・ポリプティク』Tarlati Polyptych。
われわれが桜色を好むのは、それが生命の色だからであろう。
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花主義宣言
こちらはフランス北部ランスのルーヴル美術館別館で撮影したもの。
この絵はもちろん単にお遊びや無邪気な春礼賛ではなく...(続きは下に)
イングランド南部、木蓮がとうとう散り始めた。
と、八重桜や林檎の花が...
人間って、本っ当に花が好きだ。
北半球のどの人と話しても、今は花の話、花の写真ばかり!
そういう豊かな能力が備わっているのだから、報復関税! などと馬鹿なことを言っていないで、ずっと花の話ばかりしていればいいのに(笑)
わたしは主張しよう、資本主義や孤立主義や原理主義...じゃなくて「花主義」。
すでにこの季節の日本は全てが桜の開花状況で回っていく「花主義」ではないか。
日本の美意識を世界のスタンダードにし、イズムを発信できるチャンスではないか...
まあ花の話すらも優劣やカネの話にもっていくヤカラはいつどこにでもいるのだろうが。
あれはオランダのチューリップ・バブルや、英国のプラント・ハンターが始まりなのかな...
そうそう、アルチンボルドの『四季』シリーズは、単にユーモラスで個性的な絵ではなく、政治的かつ象徴的な意味を持っている。
このシリーズは、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世や、その息子ルドルフ2世といったハプスブルク家の強力な君主に捧げられたものであるからして。
季節ごとの美や豊穣、自然のリズムを利用して「世界に秩序をもたらす能力」を暗示しているのだ。
自然界の支配・再構成力を通じて、皇帝の統治力の正当性や普遍性、宇宙秩序に対する知識を誇示することが目的だった。
時間や宇宙の秩序すら掌握する「理想君主」像がここでは描かれている。
なんという気味悪さ、グロテスク、なんというメガロマニアック。
しかしまあこういう奇妙な強欲を持った人々によって、われわれは現代、優れた芸術(わたしはこの絵は画風も意味も好みではないけど)や優れた研究にふれられるわけだ。
わたし自身、花の話ばっかりしてる。
毎日、今年も咲くか、いつ満開になるか、いつ散り始めるか、次は何が咲き始めるか、天気予報はどうか? などと気にしている。
こうして八重桜も咲き始めたし、林檎も花をつけ始め、水仙、ヒヤシンス、ムスカリ、勿忘草、パンジーが咲いていて最高、春ってね。
少し遅れてライラック、クレマチス。
夏の前の華やかな時計草、藤、そしてわたしが毎年熱狂する薔薇や芍薬。
わたしは目的など持って生きるのはとっくにやめている一方、こういう「贅沢」を生きたい。
「贅沢」するには教養も多少必要で、読書したり、他者と対話したり、美術館に行ったり、旅したり、いろいろすることはあるのだ(笑)。
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it might as well be spring 春の如く
こちらは土曜日の夕暮れ。
木蓮、満開。
3日に載せた写真とはやはり全然違いますね!
ロッソ・フィオレンティーノか、ルーベンスかブーシェのプット祭りのよう...
こちらは今朝、日曜日。
すくなくともあと一週間は夏のようなお天気が続く様子のイングランド南部地方。
水曜日は22度まで気温が上がる予報で、これはもう It Might As Well Be Summer 夏の如くか...
日本の美しい桜の写真に対抗してみました(笑)。
あなたはお花見なさいましたか?
花見弁当...ではなく、わたしは花見ティーにします。
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