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神戸に置きわすれてきたもの



わたしが現在住っているイングランド? と思ってしまうが、こちら、神戸。
今はまさにこういう建物が普通の環境に住んでいるのに、
神戸のこういう建物が強烈に懐かしいのはなぜだろう?



拙ブログ上には、わたしの出身地、神戸にまつわるテキストがたくさんある...

先月は日本から一時帰国から帰英したばかりで、まさに同じ出だしで書き始めた。あらかじめ失われた神戸を求めて


わたしの記憶の中には、故郷・神戸の最高に美しく懐かしいイメージがある。
このイメージはわたしの心の拠り所でもあり、神戸に帰省するたびにその場所(複数ある)を訪れてみる。
が、記憶の中のイメージを再体験することは絶対にかなわず、毎度フラストレーションをつのらせるばかりである。

その場所にわたしが求めている「それ」はもう(あるいは元から)存在せず、「それ」を探し求めて神戸をうろうろ彷徨うが、どこにも見つからない。「それ」が何なのかもだんだんわからなくなってくる。

それでも帰省のたびに行かずにはいられない。

おそらく、それは「自己」と同じように、特定の場所やものにあるのではなく、「関係性」の中にあるのだろうから、当時と条件が変わってしまっている現在では「それ」を追体験することは不可能なのだ。




ああ、またか、と思われる方もおられるかもしれない。
それに、モエがロンドンやバレエや花や旅の話を書いているときも、もしかしたらそれらは全部結局「あらかじめ失われてしまった神戸」についての話を書いている、と気がついている方もおられるかもしれない。

それほどわたしは「ノスタルジア」という病の患者なのだ。

ノスタルジアは:
異郷から故郷を懐かしむこと
過ぎ去った時代を懐かしむこと
懐かしさに伴う儚さ(中略)しみじみ想いを馳せる心境のこと

だそうだ。

事実、この語を産んだスイスの医学生ヨハネス・ホーファーは
「故郷へ戻りたいと願うが、二度と目にすることが叶わないかも知れないという恐れを伴う病人の心の痛み」(Wikipediaより)と定義、のちに精神科医になり、多くの症例を治療したのだという。




わたしは神戸の山手に3代(以上)続いた家族の中に生まれ、育った、正真正銘の神戸っ子だ。

典型的な神戸のハイカラ好みの家庭だったと思う。
神戸には今はかなーり薄められてしまったとはいえ、ずっと欧州の文化の出張所みたいな雰囲気が残ってはいる。


当然、わたしが物心ついた頃には神戸の外国人居留地はなかった(安政五カ国条約に基づき1868年に作られて1899年に返還された)。が、19世紀末の大正ロマン、大正デモクラシー気質を脈々と受け継いで舶来の物や生活様式を好む大人はいた。実際、わたしが生まれた頃には、19世紀末の雰囲気を覚えている神戸人も生きておられたわけだ。

それでも、自分が実際体験したのではなくとも、雰囲気や、人づてに聞いた話や、一葉の写真、映画や音楽などにも「懐かしさ」を感じるのはなぜなのか。




ノスタルジアは、海辺や遺跡で見る夕焼け、真夏の縁側のすいかと風鈴と蝉、あかりの灯った路地、ノーマン・ロックウェルやわたせせいぞうの絵、世紀末ウイーンの顔ぶれ(ツヴァイクの『昨日の世界』)、『くるみ割り人形』、チャイコフスキーのバイオリン・コンチェルトやブラームスのハンガリー舞踊曲、オリエント急行や、映画『ベニスに死す』、正岡子規の俳句、谷崎の『細雪』だったりする。




夕焼けや田舎の蝉の声は別にしても、わたしが神戸の旧居留地あたりに強烈なノスタルジアを感じるのは、西洋の価値観というものをあたりまえに取り込んだ結果だろう。
実質的に西欧列強の植民地が消え去った後も、その観念が創り出した価値の共有を、旧植民地を超えて強いてくるのだ。

ではなぜ、西洋近代の価値観がかくも世界を席巻した(している)のか。

松宮秀治著『文明と文化の思想』を読んでいたらこんなことが書いてあった。

簡単に説明すると、近代は「宗教」のような、真偽や善悪を問う際の「基礎づけ」を担う知の領域「大きな物語」(リオタール)を解体したが、人間はそれなしで生きられる強い精神を持っていない。そこにタイミングよくすべり込んできたのが「西洋の価値観」である「文明」「文化」という別の神話なのである。

西洋の価値観が普遍性を持っているからでは決してない。




近代は全近代社会の神話を解体させ、神を葬り去ったが、神話や神の不在に耐えうるほどの強靭な人間精神も人間社会も形成しえなかった。それゆえ、ある意味では前近代社会以上に神話と神を必要とすることになってしまった。「国家」や「民族」は人間を死に赴かせるほどの神話的な強制力を獲得し、「進歩」「科学」「技術」は人間の未来を支持してくれる神となり、「伝統」「文化」「芸術」は人間の過去の偉業を追憶させ、祝福する神となる。P.87

啓蒙主義に対するロマン主義の反逆、つまり「ロマン主義的反逆」とは、葬り去られた前近代社会の人間の霊的存在の代替品の製作、創出の作業である。進歩に対する伝統、革新に対する保守、科学に対する宗教、自然に対する文化、労働に対する芸術、人類に対する国民と民族、こういった相互補完的概念は、近代社会が自ら葬り去った神話に代わる新しい近代の神話であり、それは解体された絶対神に代わる多神教的な神々である。P.87
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人馬宮の薔薇




今週入ってきた薔薇が美しい。

レコードで音楽をかけて踊りたくなる。師走の仕事は全部放り投げて。
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モンブランに雪が降る




前回は、英国で七面鳥の丸焼きのスタッフィングに使う栗でパウンドケーキを焼いたことを書いたのだった。

頂き物のこの栗、一部残しておいたのは、モンブランを作りたかったから...

今年10月の一時帰国中に、モンブランはいろいろなお店のものを食べた。
「朱雀」なんぞは複数回、今流行りの生搾りモンブランも「食べ歩き」ペースで食べたほど。

生搾りモンブランの、ほくほくで素麺のように細く絞りだした栗ペーストは機械のない家庭では無理なので、無難にスタンダードな洋栗のモンブランを。


モンブランは工程は多い(わたしが作ったのは、メレンゲを焼き、サブレ生地を焼き、ディプロマット・クリームを絞って組み立て、栗クリームを絞って仕上げるスタンダードなレシピ)ものの、さほど難しい技術が必要なわけではない...

それも最終段階までのハナシですよ! 
回転台に置いて、左手で台を回しながら右手で栗のクリームを絞り出すこの難しさといったら...右手がどうしても主導権を握りたがり、「一ヶ所に絞り口を固定しながら絞る」ことができない。どうしても右手が自分で回りたがるのだ。

やっぱりプロはすごいなあと何回独り言をつぶやいたか!


しかし味は抜群である。と、手前味噌、いや手前モンブラン。
栗のクリームの硬さ調整も苦労した一方、甘さを調整できたのはよかった。メレンゲが甘いので栗クリームは甘さ控えめがいい。


上の写真はモンブランの頂に積もる雪の演出が過ぎてしまったようだ。
でも、この角度からならまだちゃんと完成しているように見えるでしょう?!

下の写真は中身。帽子をかぶっているようでかわいらしい。




栗はまだ残っているので、鴨とフォアグラのパイ包の中身に入れようと思っている。

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師走の栗のパウンドケーキ




もう12月も半ば...みなさま走っておられるのですか?

英国のクリスマスの食卓には七面鳥の丸焼きが欠かせない。
栗は、七面鳥のスタッフィングに使われることが多い。

スタッフィング用に準備された栗をご近所からいただいたので、七面鳥を焼く予定のない外国人家庭のわが家では、さっそく栗のパウンドケーキにしてみた。
三温糖を使いたいところだが、もちろん手に入らないため、ベルギーで買ってきたカソナードを使う。カソナードは三温糖に風味が似ている。香りが若干強いかなあ...

スタッフィング用の栗、少し残しておいた。

なぜなら来週の来客用にモンブランを作りたいから!!

...

オミクロン株の拡大で、英国では今週新しい規制が導入された。
具体的には「屋内でのマスク着用、ワクチン接種証明パスの提示」などで、去年の今頃の閉塞感にくらべたら比較にならないくらい緩いものの、それくらいのことは普段でも実行できるのでは? と感じる。

クリスマスはイタリアで過ごす予定なのだが、行けるのかしら??
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白鳥の湖テーマで




2021年のクリスマス会が始まった。

土曜日はロンドンで中規模の祝宴、日曜日はわが家で晩餐。


毎年、なんとなくテーマは決める。
単に「銀と空色」の時もあるし「オリエンタル」のこともある。

今年はずいぶん前からなんとなく『白鳥の湖』テーマのテーブルにしたいなと思っていて、しかし全く準備はしていなかった。
頭の中ではアスパラの葉や白薔薇を飾り、チュールをはわせたりしたかったのだが、たまたま思ったような真っ白な白薔薇が手に入らず、ミニ胡蝶蘭に...

わたしがもしもルイ14世だったなら、白鳥の丸焼きをメインに用意したところだろう。

うちではささやかに鴨のパイ包みであった。東京のレストラン木下さんが大昔に出したレシピ本から。

クリスマス本番は、これを発展させたテーブルにしたい。
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