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ガトー・ショコラと午睡の戯言




こちらの学校は6月が年度の終わりなので、5月と6月は、復活祭前の3月やクリスマス前の12月と並んで、いやそれ以上に学校行事が忙しくなる。

まず、大きい期末試験がある。
修学旅行がある。

その他にも、娘はオーケストラや室内楽等の演奏グループに6つ所属していて、学校で開催されるコンサートに出演するだけでなく、外部にツアー(本格的にツアーと呼ぶ)に出たりもする。
おまけに彼女はダンスチームのメンバーでその公演がある。
新しいプロダクションのオーディションがある。
さらに個人で受けている楽器の発表会やコンテストがある。

もちろん親もそのひとつずつを見に来るように期待されるので、ほとんど毎日学校か学校関係のために外出することになるのだ。そういう時に限って夫が出張中なのはもうお決まりだ。

それだけならばまだいい。わたしはさらに大きな問題を抱えている。
自分でも可憐だなあと思うのだが、娘がソロで演奏をする時、しかもそれがコンテストだったりすると、わたしは気分が悪くなるほど緊張するのだ。
これはもう何度経験しても慣れることがない。
娘には偉そうに「練習は本番のように、本番は練習のように」(<わたしが親から「気取るのは家の中だけで」と躾けられた、そのアレンジ)と偉そうにアドバイスしまくる癖にですよ...頭痛、吐き気、肩凝り、不安なほどの心拍数の上がり方、これってパニック・アタック?! 
できるものならもう見たくない...

どうしたら緊張しなくなるんでしょうね。
アメリカ人の友人で「緊張って何?」という豪傑が何人かいて、どうもそういう人は生まれつき、つまり脳がそうなっているという研究を聞いたことがある。ああ、そういう風に生まれたかったなあ!

そんなこんなで時間的にも精神的にも親も結構大変なのである(笑)。

時間的なことについて言えば、最近はセルジオ・ティエンポのピアノと、ロイヤル・バレエ公演のチケットを2回もあきらめなければならなかった(<どうもわたしはこれを愚痴りたかった模様)...

しかし子供の晴れの舞台に付き合う機会もいずれは減って行くのだろう。そう考えたら「ママ、自分の子供のリサイタルよりもロイヤルバレエを選ぶのですかっ!」という娘の言い分はもっともである。うん、もっともだよ。ママはオシポヴァの復帰公演をあきらめても、コンテスト会場で卒倒する恐れがあっても、子供のリサイタルを選ばねばならないのだよ。



今日は久しぶりに何も予定のない日で、一日お化粧すまいと決心し、簡単だが時間のかかるガトー・ショコラを、ベルギーのフォンダンショコラを「こんなに入れるの? 太るで!」というほど使って焼き、緊張は忘れてリラックスして読書し、昼寝もするぞと決めた。夫が出張中(もちろん)なので、彼の代わりに娘を迎えに行くだけで今日の業務は終わりにする!

ソファーで昼寝をしていると、飼い犬が「生きてる?」という感じでしょっちゅうチェックに来るのでなかなか休めない...


そんな最近である。
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prince & 3rdeyegirl




ご招待頂き、"Prince and 3rdEyeGirl" へ馳せ参ず。

バーミンガム2夜目のコンサート目指して車を飛ばした。

会場内では撮影/録画一切禁止、バックステージでは携帯電話の使用すらも認められていなかったのでこの抜け殻のようなパスの写真で。


開演前にステージのセット等を見せてもらいながら何人かと話し、特に印象的だったのが、「パープル・レイン」が初めて自分のお小遣いで買ったレコードだ、と話す人が少なくなかったことだ。

まさにわたしたちの世代。

超満席の会場もやはりそのくらいの年齢の人でいっぱいだった。
ビール腹のおっさんと、二の腕たぷたぷの、しかし堂々とタンクトップを着るおばちゃん、ビール飲みまくり踊りまくり。妙な一体感を感じる。
30年前、彼らはよっぽど綺麗な少年少女だったんだろうな...


ステージ自体はアリーナ・ツアーにしてはかなり小さかった。
どちらかと言えば簡素。最近では当たり前になっている巨大で驚くような仕掛けのあるスクリーンも、奇抜な照明も、宙に浮いたり延びたりする花道も、(時間稼ぎの)ダンサーによるショウ・タイムもなし。

プリンスという稀代のアーティストの才能だけを純粋に楽しむコンサートなのだ。

撮影や録画が禁止されていたのは彼のディーヴァ的こだわりであるかもしれないが、二度と巡っては来ない一回限りの「アート」を自分の生の感覚を通してのみ楽しむという主旨で、それにわたしは大賛成だ(なんせわたし、一期一会のチェルビダッケの大ファンなの)。
近頃はポップスのコンサートだけでなく、バレエやクラシックのコンサートでも録画をしたり、撮影をしてその場でネットにあげる人が少なくないが、そういうのはひとときやめて生の体験を楽しもう、というわけ。


プリンスは顔はそれなりに老けていても相変わらず小柄で華奢で、2時間あの調子で歌いっぱなし。
彼はアフロで全身白の装い、数々のヒット曲のファンクでハードなアレンジ、それにしてもプリンスギター上手過ぎ...

会場の震えは最後まで止まず、特に "When doves cry" のときの盛り上がり方は、みな泣いているのではないかと思うほどだった。

聞いたところによると、毎夜選曲がかなり違うようなので、もう一度見たいと思ってる。
今夜?


来月はストーンズのローマ公演(@チルコ・マッシモ)を見に行くつもりで、今から踊り出したくなるほどの楽しみ(親友に「ローマの遺跡でストーンズが...」と話したら、「ミックがトーガを着て歌うのか?!」と。いやいや)でもあり、

5月6月の欧州はファンクなよい季節なのである。
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broadway mkt






土曜日の午前中はコンシェルジェ氏に勧められて、
ショーディッチのブロードウェイ・マーケットへ。

前夜の食事で胃がもたれているのにもかかわらず、
屋台から漂う、油の焼ける香ばしい匂いをかぐや、ヨダレが...

豚の丸焼きのサンドイッチやソルト・ビーフのベーグルなど
どれを買い食いするか決められないまま、

ハモン・イベリコやオーガニックのソーセージ、
36ヶ月もののコンテチーズ、平たい桃
その他何を買って帰ろうかと思案しつつウロウロ行ったり来たり。


ある店の前で突然 "Stairway to the stars" の演奏がはじまり
サキソフォンとギターのクールな音色につられてフラフラと入店。

樽からのオーガニック・プロセッコがすすむすすむ。

「リクエストを」と言われて、
咄嗟に "Every time we say goodbye" を所望したら

卒倒しそうなくらいにかっこよかった! しかもわたしのために!(笑)

舞い上がってソーセージのことはすっかり忘れ
(夫も一緒になって舞い上がっていたため)
手ぶらでブロードウェイ・マーケットを去ってしまった。


ここからまた20分ほど歩いて、
コロンビア・ロード経由でブリック・レーンまで。

ショーディッチ方面はレストラン利用意外ほとんど行くことがないから
まるで外国旅行に来たような気分になった。
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倫敦蒼穹一刻値千金








娘が大陸ヨーロッパに修学旅行中につき、
大人チームは夜遊び目的でロンドン滞在中。

炭水化物たっぷりの朝食が普段よりさらにおいしく感じられるのは
昨夜飲み過ぎたからか
(と、気取って言うわりにはあまり飲めないんですけど)。


夜が目的だが、
絶対的幸福は絶対的晴れの日にこそあると思う。

灰色の空がデフォルトの国に住んで長いんでね...

青空のもと、今日は何をしようかなあ。
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ペンパル今昔




ねえねえ。
あなたには、ペンパルいました?

ペンパルがいた人、結構いらっしゃるのでは?

懐かしいですねー。

わたしにもいました。

30年以上も前、近所の外国人に紹介してもらったアメリカ人のペンパルが。
英語の運用能力が非対称も非対称だったので、文通はそれほど長くは続かなかったけれど。
どんなにがんばっても数行しか書けない文章の余白にイラストを描いてごまかした。だんだんエスカレートして絵が中心の手紙になり、それはそれで先方に「おもしろい!」と喜ばれたものだ。

当時は郵便代金が高価だったせいか、水色の薄葉紙のような便箋と赤青のライン入りの封筒がエアメイル用として売られており(今も販売されている)、それを使うのがものすごく特別だったのを覚えている。
また、日本からはこの便箋封筒セットを使い、習いたての筆記体で書くのがほとんど当たり前であったにもかかわらず、アメリカから来るアメリカの紙のにおいのする手紙はもっと自由奔放なスタイルだった。時にはノートから破り取った一枚だったり、あるいは手紙の文字が筆記体でなく、どちらかというと乱雑なのはなぜ...とか。
それが彼の国の「遠さ」をより感じさせた。

手紙のやり取りは、一通の手紙をしたためるのにも時間がかかったが、手紙を投函してからがまた時間がかかった。1週間? 10日? 1ヶ月に一度手紙を書き、1ヶ月後に返事がくるというようなペースだった。
...と記憶している。



最近、14歳の娘にも初めてのペンパルができた。
学校のドイツ語の授業で一人一人に割り当てられた、提携を結んでいるドイツの学校の生徒だ。英国側の娘は学習中のドイツ語で書き、ドイツ側は学習中の英語で書いて送ってくる。
お互いダンスを熱心に習っていて、犬を飼っているという共通点があり、娘も滔々と書いては写真を送ったりしているが、便箋と封筒...


ではなく、Eメールですよ。
あたりまえと言っちゃああたりまえか。

わたしはこれが何かショックだった。
たしかにEメールの方がハードルとしてはかなり低い。しかし、未知の相手(ペンパルは普通、会ったこともない相手である)の選ぶ便箋の趣味や筆跡に現れる性格や、ひいては文化習慣の背景や、そんなものが抜け落ちてしまうのではない?! やりとりの間のゆったりした時間の中で起こる、自分をふくめた物事の変わり方などを感じるヒマがないんじゃないの?! という気がした...
ま、昔の人はわたしたちの世代の書く手紙を見て「手紙は候文なければ」とか「歌を詠まないの?!」とか言うに違いない(笑)。


先日はこのドイツの学校が修学旅行でロンドンへやって来、ついでに娘の学校にも立寄って直の交流会があったそうだ。
ええっー、わたしなんかペンパルと会ったこともなければ、いつか会えるとも思わなかったのになあ。

「前から分かってたけど、やっぱり私のペンパルが一番素敵だった!」と娘は帰宅してからもごきげんだった。

人間性というものは、Eメールからでも十分すくい取れるものみたいだ。
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