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carlos place








今宵はカルロス・プレイスで待ち合わせ。

待ち合わせ好き。
たとえ毎日顔を合わせている夫とであっても。

約束をしている人との距離がどんどん縮まる感覚が心地よくてわくわくする。
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man ray club








週末、ロンドンのナショナル・ポートレイト・ギャラリーの前を通りかかったら...


ああっ、忘れていた、見たいと思っていたマン・レイの特別展。

3月27日までだというので善は急げ、昨日の雹(ひょう)と大雨の中をぶつぶつ言いながら行ってきた。



実はバブルの頃、「マン・レイ・クラブ」という名の秘密クラブ(ただの宴会クラブなんだが)をしていたというミーハーなご縁があり、ご本尊のご開帳には馳せ参じずにはいられないのである。
...こんな低俗な回想で申し訳ない。

ダダイズムやシュルレアリズムは世界大戦が始まると徐々にそのリアリティを失ったと習ったが、アノミー的であるという点で、現代(当時はバブルが儚いものだとは夢にも思わなかった)はどうなんだ? と命名。無知で思いっきりバブルっぽくて恥ずかしい。でもおしゃれで楽しかったからいいのである。マン・レイ・クラブ。


美しい展示物を眺めているうちに四半世紀ぶりに会員に集合をかけてみたくなった。
展覧会に極秘に集合して、会員は他の会員だけに分かる符号をつけておく...というのはどうだろう。そういうのをあの頃仕込んでおくべきだったなあと後悔。
だから今月仕込んで、次の四半世紀後に極秘で集合しませんか。

25年後、みんなこんな遊びに付き合ってくれるかなあ。
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異人館通りの安藤さん




先日、友人と神戸北野の懐かしい話でおおいに盛り上がった。

わたしたちはお互いに神戸市の東端の山手出身だ。行動範囲や好みが似通っていたのだろう、楽しい思いをした場所が共通していた。震災後になくなった店や形を変えた街角、移転したレストランやバア、今も健在な老舗などの名前を挙げては、「あそこの隣」とか「あの道を渡ったとこ」などと場所を確認してゲラゲラ笑った。

記憶を辿るのに往生したのは、北野には似た名前の商業施設が多いからだ。例えば異人館倶楽部はパート1から3まである。安藤忠雄が設計をした建物もどれも同じような名前で困る。リンズ・ギャラリー、リランズ・ゲート、ローズ・ガーデン、北野アレイ...あ、書き出してみるとあんまり似てないな(笑)。

安藤忠雄、大好き。
特に北野にある小さめの商業施設が。

安藤忠雄の建築が世界を魅了するようになって久しい。が、70年の終わりから80年代頃には阪神間は「安藤忠雄に設計してもらった」家の建築が珍しくなく、少なくともわたしにとってはかなり身近な存在だったのだ。
直接知るそれらの家屋が芦屋市から西宮市の山手の新興住宅街に集まっていて、「デザイン優先だからトイレのドアが開けにくい」とか、「コンクリートの中身が完全に乾くまでは」とか、そういうネタをよく聞いたものだ。
うらやましいなあ、安藤忠雄の家。

こうしてわたしの行動範囲でもある東は西宮から西は北野で出会ったコンクリート打ちっぱなしの建物は完全にわたしを魅了した。
今でも英国の田舎の丘陵地帯に贅沢に直線を使った、回廊と中庭のあるコンクリートの家を建てたいと夢見るほどだ(建物の外観を街並と統一するという規制でなかなか難しいらしい)。
リランズ・ゲートに今はキッチュなお土産物屋が入っているという話を聞いたときは悲憤慷慨やる方なく、できることなら買い取って自分の家にしたいとすら思った。





ロンドンのコンノート・ホテルの前にある安藤忠雄の「サイレンス」。
これをを眺めながらコンノートのバアで飲むのが大好きだ。晴れの日も雨の夜も。
コンノートは場所柄がロンドンでは一番好きなホテル。




北野は美しい。緑濃き山を背に、坂道が海まで続く。山手から眺める夜景。
異人館通りにはなぜか懐かしい感じのする洋風で瀟洒な館が並び、タイル張りやれんがや、コンクリートのモダンな建物と調和している。
ガラス張りの美容室、半地下のイタリアン、入りにくいバア、モスクに教会、老舗のデリカテッセンやパン屋、珈琲屋、商店...


欧州で安藤忠雄設計の家を建てるか、「サイレンス」を眺められる位置に家を買うか、北野に帰って安藤忠雄設計の建物を見ながら暮らすか...
ううむ、最後のヴィジョンが一番安価で現実味がある。


あと20年くらいしたら何度も繰り返し夢想したように北野に住んでみたい。
とろとろと坂をくだって三宮まででて買い物をしたり、中山手通で珈琲を飲んだり、近所のバアに立寄ったりしたい。あ、自分が喫茶店をするのはどうだろう。道楽で。楽しそう!


百年以上も前、北野で母国を郷愁しながら暮らしたであろう異人さんのように、わたしもベルギーや英国のことを懐かしく思いながら暮らしたい。
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おいでイスタンブール




うらまないのがルール...


わたし、完全に春の行楽モード入ってます。旅のことばかり考えてます。


今日はこの記事を読んだが最後、眠りにつくまで庄野真代の「飛んでイスタンブール」を口ずさんでいただこう。
いや、よくできた歌謡曲ではありませぬか。

この歌が発表されたのが1978年(ウィキペディア調べ)。
わたしもまだ可憐な小学生だった。

イスタンブールと言えば「飛んでイスタンブール」と人々に刷り込まれるほど大々的にヒットし、今でもイスタンブールと聞くと自動的に頭の中であのメロディーにスイッチが入りませんか。


まだまだ海外旅行が特別だった時代、79年から放送されたNHKの「特集・シルクロード」人気、久保田早紀の「異邦人」の大ヒットとも絡み合い、西アジアの国々はアメリカやフランスなどへの気持ちとは違う種類の遥かな憧憬をかきたてたものだ。
神秘的で謎に満ち、豊かな歴史と文化に彩られた遠い遠い国。国境を楽々と超えて行く商隊、謎の文字、失われた文明、千夜一夜物語の自由闊達で絢爛なお話、「マカーム」と言うのだろうか、トランスを誘うような音楽...等々。

わたしもその憧憬の虜になった1人だった。だからプラザ合意を待たずに2つ下の妹と2人きりで出かけた個人旅行で選んだのもトルコ・イスタンブールだったのである(この時は地中海文明に溺れていて、ギリシャ、トルコ、エジプト、フランス、イタリアを周り、またギリシャにもどって日本へ帰国した)。
これが両親抜きで行った初めての海外旅行だった。父がよく許してくれたものだと今になって思う。


その後、90年代の初めに友人と訪れたきり。
今春は長い春休みを利用して20年ぶりに彼の地を訪れることにした。

きっかけは、夫が「スカイフォール」の冒頭で見て(笑)。そしてブルージュで世話になった/なっている、ケンピンスキの某マネージャさんにケンピンスキ・イスタンブールのロケーションを一押しされたこと。


20年前、親切にしてくれた絨毯屋の親父は今も元気かなあ。
あちこちで甘いお茶を頂き、買い物のときは値切ったつもりになり、岸壁のボートから揚げたての鯵(鯖?)を買って食べたい。数学的なオスマン様式の美をさまよい、黒海まで行く遊覧船にも乗りたい。


久しぶりにヨーロッパ文明から抜け出られて清々するに違いない。


おいでイスタンブール

人の気持ちはシュール...
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地図








わたしは地図を見るのが大好きだ。
社会科の時間はただただ世界地図や歴史便覧の地図を眺めていたような気がする。

父はわたしよりもさらに地図好きで、いつだったかフロリダへ旅した時は周りの景色を愛でようともせず、ひたすら地図上で今自分がどこにいるかを確認し続けて皆の失笑を買ったこともある。


上の写真はベルギーから英国へ戻る際、夫の車のナビ上に出る映像。
ロンドン、パリ、ミラノ、ミュンヘンがあたかも普段の行動範囲のように同じ画面にしれっとでてくるのがわたしにとっては「かっこいい」。
こういうのを見たいがため、助手席で地図を拡大してみたり、東西南北に動かしてみたり、「ここからジブラルタル海峡まで何時間?」とか「ここからモスクワまで何キロ?」などと操作して楽しんでいる。

もし、会えない恋人がモスクワにいるなどという事情がわたしにあるなら、30時間かけて車を飛ばすなどというロマンティックなこともやってみるのだが(そしてそれは素敵なブログ記事になるだろう・笑)...もうたぶんそんなことはわたしの残りの人生には起こらないのかも。寂しいなあ。


ヨーロッパ内の地図しか入っていないから空想の世界でドライブできる範囲は限られているが、大陸を横断して日本まで行けるナビなら楽しいのに。


どこか遠くに行きたくなる。
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