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Brugge Style
香炉
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人工的な強い香は苦手だが、自然の香りの香は大好きだ。
第一、煙が立ち方がドラマティック。
特に教会で振り香炉などを見つめていると軽いトランス状態に陥る。
この炉はオマーンで求めた。アラビアンナイト、乳香を焚く魔法の香炉...インドネシア製らしいけど(笑)。
最近、ブルージュで唯一件インセンスコーンを扱っていたロクシタンが、コーン製造を止めてしまった。前のその前のバージョンの薔薇が好きだったのに...世の中、キャンドルの方に人気があるからだろうか。
探し方が悪いことと、ベルギーの商業的ネット環境が未発達なのと、様々な理由からベルギー国内でもパリでも「インセンスコーン」という形態の香が見つからず(線香状のものはよくあるのに)、半ばあきらめ...た時に意外な店で発見。
夏に買った無花果しか備蓄がないため季節外れの香りを燃やしている。
秋らしい香りを買いに行かなくては。
香って、なんだか手作りできそうな気がするのだが(土臭そうな作業がわたしをそそる)、これも絶えずわたしの妄想から煙のように立ち上がる甘い夢なのだろうか。
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芦屋弁
先日、数年前までブルージュ在住だった、東京出身の友人とおしゃべりに興じていた。
あるタイミングで彼女がふと
「Moetさんって、お嬢さんとは何弁で話すんですか?」
と。
「こういう話し方よ。」
はて、これは何弁?
彼女がブルージュにお住まいだった頃、わたしたちの周辺には関西文化圏が形成されていて、
「ブルージュの運河を道頓堀に見立てて、キャビアでたこ焼き」
「大阪にご出張された方が、お母様からのプレゼントとして持ち帰られた最上級の神戸牛ですき焼き」
「広島ご出身の方にお好み焼きを焼かせて突っ込みまくる」
などという、思い出しても頬が緩む愉快な毎日を送っていたのである。
彼女はそんな関西人グループの中で唯一の東京ご出身者であり、われわれのコテコテ関西弁のボケや突っ込みや、ナンセンスな掛け合いを真剣に聞いてくれる、清らかで上品で本当に性格の良い女性だったのだ。
だからそれ以来、彼女のMoetに対するイメージは「関西弁のおばちゃん」であり続けたのであろう。
しかし、しばらくぶりに2人きりで会ってみたらMoetは何やら標準語に近い話し方をするではないか。なぜ?ということで一番最初の質問が出たのだ。
わたしは娘といわゆる「芦屋弁」を話す。神戸東部から芦屋、西宮の一部にかけた山の手(いや、山腹)で話されている、標準語に関西弁の単語とリズムの影響を受けた話し方だ。
...自分の話し言葉に「芦屋弁」という名があるということは後年まで知らなかったのだが。
実家では芦屋弁が共通語だった。そしてわたしは友だちに交わる時は神戸弁を使っていた。なんとなれば友だちの中で芦屋弁を話すと「ざーますおばさん」とからかわれたからだ。
例えば
「あなた、いー加減にして頂戴」(「<いー」「して」の部分に関西弁トーンの特徴あり)
「自分ええかげんにしときーや」
「宿題、してる?」
「宿題、しとう?」
...
わたしは相手が親しい関西人でない限り、標準日本語を話す。しかし必ずどこかが訛っているはずで、*それこそが芦屋弁デフォなのだ(たぶん)。
選ぶ言葉、微妙な敬語の使い分けで対人関係の距離を設定するのはソフィストな技術だと思う。わたしが生まれ育った時代と場所においてはそういう能力が最重要視された。
そういうわけで、娘も標準語、芦屋弁、神戸弁を完璧に使い分けられるよう仕込みたいと常々思っている。
でも彼女は日本語を聞く時間が圧倒的に少なすぎ、今のところ「あなた、いー加減にして頂戴」バージョンの、中年女性のような話し方をしてわたしの失笑を買う(笑)。
先日、「火垂の墓」を鑑賞中、「何言ってるのか全然分かりません」と言いながら引き込まれていた。ああいう綺麗なネイティブ関西弁をも話せる関西弁内バイリンガルになってほしいと願うのは無理な注文だろうか。
*「芦屋弁」と書くにあたって、ちょっと調べたのだが、「神戸弁」や「京都弁」「船場言葉」のようにサンプルを標本化したサイトや参考資料等は見つからなかった。もしご存知の方がいらっしゃったらぜひご教示下さい。
追記:ウィキペディアでだが、「神戸弁」の項目を見てみたら、なんとまあ、わたしの場合、「自分は今神戸弁をしゃべっている」と自覚しているときでも、こんな話し方は絶対にしない(もっとニュートラルなしゃべり方である)。もちろん街でこういう話し方をする人々に遭遇したことはあり、大変なつかしい。
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ネフェルティティの微笑み
週末によく利用するブラッセルのティールームに、ネフェルティティ(遠くから来た美女)が出現。
新しいウエイトレスさんである。
年の頃17、8の彼女の美しさときたら、わたくしをしてその蜂蜜ホットケーキ色の横顔を観察するために不信な動きをとらせてしまうほどだ。傾国とはこういうかんばせのことを言うのか。
美女の基準というものは時代とともに変化し、「最も経済的パワーを誇る国の女が、その時代の美の基準になる」と言われるが、昔(って3000年くらい前)、エチオピアの美女が世界で一番美しいと謳われたころの基準を想像してみても、彼女の美貌ならば即王宮に召されただろう。
妄想の中で、宝石をちりばめた黄金の飾りを彼女の頭上にのせてみたりするのは、粘着質な楽しみでありすぎる。自粛。
と言うか、本を忘れてきたわたしは暇すぎるのだ(笑)。
ところで、美人は3日で飽きるなどと言うが、人間は他人の容貌の美醜に関係なく「慣れ」るのだと思う。
美人には3日で飽きるのではなく、「慣れ」、その反対の容貌にも、慣れるのである。
...ならば、結局は、人間には客観的に美を査定する能力は備わっていない、ということになるのかもしれない。あるいは、完全なる美がこの世にあるとして、また、人間に確実な査定能力が備わっていたとしても、その客観的美を好むか好まないかという「嗜好」はバラバラだ。
でもたぶんそれでいいのである。そこが世界がうまい具合にできているキモなのだ。査定能力と好みのばらつきこそが、人間を仕合わせにしているのである。
...
友人から回ってきた日本のTVを録画したDVDに、「魔女の宅急便」が入っていたので娘が鑑賞していた。途中コマーシャルのたびに日本の女性タレントの美しさには度肝を抜かれた...日本ってすごいことになってるんですな。さすが、経済大国じゃぱんは。「えっ?そう?そんなに綺麗?」と思ったあなたはきっと「慣れ」てしまっているのです!!
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贈り物
うちの大人たちがそわそわし始めた。
秋から冬にかけて、お祭りやお祝いが目白押しだからだ。
この季節、雲が低く垂れ、寒く、暗く、しつこい雨が細く降り続く灰色の世界が、終わりのなきように続く。
雨雨雨雨雨雨雨雨雨(漢字ってすごい)
国家公認のお祭り騒ぎでも企画しないことには、冬を乗り切れない人間が続出するのだろう。
まず11月初頭にサンタクラースが来る
(次週は娘の誕生日)
12月はクリスマス
新年
.
.
.
大人たちは「娘は何を欲しがっているか」を調査し始め、ヒントを求めてくる。
「派手なおもちゃをもらったり、ごちそうやお菓子を山のように食べたりするのは、普段質素な生活をするしかなかった時代にこそ意味があった習慣で、現代ではそんなことをする必要は全くない。敢えて娘に何かを送りたいなら、上等の革靴とか、寄付をするとかにしていただけまいか」
と言うのだが、
「あなたは子どもの楽しみを分かっていない。サンタクラースは子どもの守護聖人でおもちゃしか持ってこないのだ。黒の革靴を贈るサンタクラースなんてサンタクラースじゃない。子どもがどんなにがっかりするか!」
「あなたが靴や洋服を贈れ、というのは一見実用的な考えがあってのようだが、単にあなたが靴や服が好きなだけだ。子どもの楽しみも祖父母の楽しみも潰してはいけない。」
と、言う。
あなたがた、娘のお部屋をご覧になったことがありますか。
あそこはジェラシックパークですよ。しかもヴェロキラプトルに荒らされた後の。
これ以上おもちゃは禁止!....と、今まで何度大人を諭したことか。
結局折り合いをつけて、祖父母からのお誕生日のプレゼントはオランダ週末旅行(エフテリングという、妖精/妖怪が跋扈する、ゲゲゲの鬼太郎タイプのテーマのパークがある)に決まったらしい。
わたしと夫も、モノを贈るのではなく、例えば寝台列車の旅などどうだろうか(我々も楽しめるし)と話し合っている。
昨今では飛行機で旅する方がずいぶん割安で便利なので、寝台列車でどこかへ行くなど考えもしなくなったが、トーマスクックの時刻表を調べながら、すぐ下の妹とユーレイルパスで欧州を旅しまくった20年(以上)前のワクワク感を思い出すと、娘も喜ぶに違いないと想像できるのである。
でもサンタクラースはメンツをかけておもちゃを持ってくるつもりなんだそうだ。日本の聖クラースも。
聖クラースは意外と頑固なのかもしれない。
大人は冬にお祭りをすることで何かを隠蔽しようとしているのだろうか?
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