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Brugge Style
最近の若者は...(笑)
一ヶ月くらい前だったか、若者の海外旅行離れが進んでいるというニュース記事があった。
わたしが若者と呼ばれていた時代は、「地球の○き方」の出始め、個人旅行の黎明期であり、同時にリ○ルートなどがあおった「自分探し」の旅への憧れ(本当の自分などどこにもないということに気がついた同年代人は少なかった)...目に星キラキラな空気が充満していた。それはそれでかなりバカっぽかったけど(笑)。
そう、すご~く昔。昔はよかった、という話をするのはある年齢に達したものの特権である。だから言わせて(笑)。
で、最近の若者の海外離れである。
専門家の分析では「海外旅行が手軽になって特別感がなくなった」「時間と金銭的な余裕がない」ことなどが理由としてあげられていたが、わたしは即「この頃の若い人、外に興味ないんちゃうの?」と思った。
外とは広くは地球規模の時事も含めて、自分が属している小さな小さなコミュニティの外部すべて、ということだ。
そんな話を現役「若者」の友人にしたら、海外ニュースのコメント欄などでも「外国(人)のことなんかどうでもいい」というトーンのコメントが目につくと言う。
分からないことや知らないことをそのまま放置しておく、というのは人間にとってしんどいことである。
分からないことや知らないことをストレッサーにしないためには、二つ方法がある。
一つ、それを解決しようとする。
二つ目、心身の感度を下げて、分からない/知らないことは存在しないことと同じ、という風に考える。そのためには無知に留まることに生きる不安を感じないよう、自分と同じような人だけが集まる小さいグループに属していればいいのだ。
そうしたら誰もこのコミュニティの外には何か他のものがある、なんてうっとうしいこと、言わないし。
サバイバルの基本は、外界の変化に応じて自分を変えていける能力を磨くことと、次に自分自身の粗末な価値判断を一旦保留にするという能力を磨くことである。
小さな小さなコミュニティ内にとどまる限りそんな能力を磨くチャンスは訪れない。
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お先にどうぞ
あるところから「真のエレガンスとは?」について書け、と言われて困惑している。
読者は本当にそんなことに興味があるのかね。
わたしが人間のクオリティとして最高だと思うのは「余裕」があることである。
知性のあり方にも余裕は不可欠だ。一旦システムから降りて自分を省察する余裕だ。
「エレガンス」も余裕から生まれると思う。
わたしにとってのエレガンスは例えば常に「お先にどうぞ」の精神で生きる(あるいは死ぬ)ことだ。
どんなに急いでいても道を譲れること。
そのような類いのことである。
道を譲るのは簡単である。いつもしてるよ、とおっしゃる方も多いだろう。たった今から即実行できるし。
でも例えば大災害に巻き込まれたとして、最後の一個の食料を他人に譲ったり、「わたしよりあの人を先に助けてやってくれ」と言うのは簡単だろうか。
「お先にどうぞ」と言いながら涼しげな顔をしてこの世を去って行く。そのように去って行っても心残りのないように毎日を生きる。
これ以上のエレガンスはないと思う。
と、いうようなことを書いたら、もっと「おしゃれなことを」って言われた(笑)。
ちぇ。
書き直してないので媒体に載ることはないだろう(笑)。
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魔法学校
美術や音楽など、ミューズ系の科目は、ベルギーの教育ではほとんど課外で行われている。
教育は大学まで無料なので、ミューズ系の科目も当然無料。税金でまかなわれているため、一定の成果はあげ続けなければならないが。
ソフトなエリート主義、とでも呼ぼうか。
その恩恵にあずかるべく、娘も音楽学校に通っている。
学校は適当なサイズの適当な位置に既にある建築物を流用している。例の、ブルージュの古い建物だ。
とは言え、メインの建物は改築も進み、防音システムなど、なかなか現代的ではある。
今月の初め、この学校でも娘のピアノの個人レッスンが始まった(だから彼女は今、ピアノの先生2人についている。わたしの賽の河原の苦しみが増えるわけである)。
教室として指示された建物、これが...
魔法学校か、ここは!
半開きにされた重い玄関ドア、黒光りする大きな階段、真っ暗な廊下のつきあたり、目玉が動きそうな人物が描かれたステンドグラス、無数に並ぶドア(ああ、カフカの「審判」の建物のよう)、骨とスジだけになったピアノの残骸、どこからともなく聞こえる陰気な管楽器の音、超芸術トマソン、ここにもトマソン、あそこにもトマソン...ブルージュはトマソン天国だ。
学校が迷路のように作られているのには意味があるという。それは知識の象徴なのだそうだ。
娘が大人になった時、この建物をどのように思い出すのだろう。
うらやましい。
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信じる?
娘はキリスト教系の学校に通っている。
わたしも幼稚園から高等学校までキリスト教の学校に通ったが、昔と今ではテキストの出来が全く違う。
一番大きな差は、(宗派によって取り組み方は違うだろうが、この学校の場合は)キリスト教の時間に他の宗教について学んでいることである。
今度の試験範囲には世界宗教の起源や体系が入っているらしい。へえ~、高度なことしてるねんな。
テキストをざっと見てみたら、どうやらこの筆者チームはキリスト教徒を再生産することよりも、「人間はみな違うのです」というテーマを強調することに熱心らしい。へえ~、一皮むけましたな。
ベルギーは多言語/多民族から成り、移民も一時的に住民となる外国人も多いため、そういう教育の仕方は現実に最も合っているのかもしれない。
あるいは宗教界における新たなる戦略?
娘が「ママは神様を信じている?」と聞いてきたので「信じてない」と即答した。
夫はわたしのこういうバカ正直な態度が邪悪だと言うが、わたしは娘には『できるだけ』正直に話をすることにしている。嘘をついてこじれる方がイヤだからだ。
しかし「これはわたしの考えであって、間違えているかもしれないし、考え方は変わるかもしれない」と強調しても、子どもが母親の意見から多大なる影響を受けることは事実なので、たとえ話を駆使してじっくり話す。
「じゃあ、イエス様のことは信じている?」と、とりつく島を求めて聞いてきた。「人間が彼の教えを取り入れて、すばらしいことができるという可能性は信じる。」と言った。
信じるか信じないか、そんな勉強してないやん。なんでそんなこと聞くん?
「わたしはね~、ママのことを信じてる!」
それはまたおそろしい飛躍ですな...その言葉でわたしが善を為すように縛り付けようとしてる(笑)?
「ママは山姥を信じてる?」
なんや、わたしとヤマンバが同系列か...と言うか、「信じる」の意味が変わってきてるやん...
「じゃあね~、どうしてたくさん神様がいると思う~?」
ああそう聞かれると思ったよ。
単に、真理(神でもいい)というものを人間が知ろうとしたら、それだけたくさんの宗教が必要、ということなのである。どの宗教も真理の一つの側面を表している。
どの宗教も自分のやり方で真理に至ろうとしていて、その過程一つ一つのユニークさが必要なのである。
と、わたしは思う。
だから「ウチの教えであなたも真理に至れます」とか「ウチの教えだけが正しい」という宗教(や主義。スポーツの祭典を開こうとしている某大国とか)には気をつけた方がいい。
わたしが一番怖いのはその狂信から動けなくなっている人たちだ。
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perle d'ange

黄龍とかマクガフィンとかで書いた友人のお店が開店!
大変高価なダイヤモンドからパール、手頃な半貴石まで、既製品、オーダー、リフォームもなさる。
わたしはここであれこれ(手頃な価格のものばかりで申し訳ないのだが)作って/作り直してもらうのをささやかな楽しみにしている。
いずれわたしが本物のマダムになった暁には、このお店のダイヤ担当の旦那様を唸らせるくらいゴージャスなブローチを注文したいと...完全に妄想で終わりそうだが。
先週、わたしと一緒にお祝いに行った美女は、店頭にあったピアスのイヤリング部分をもっと小さくして~とお願いしていた。わたしは壊れたイヤリングの石を使ってリフォームを。「適当にこんな感じで」と告げても細かなところまできちんと対応してくれる。素敵~、Tさん。Tさんは若くて綺麗でスタイル抜群で、礼儀正しく、シャンパンが大好物の日本人女性。
秋に向けて、糸ではなく何本か革ひもを通した(首に沿う、4連くらいの)パールのネックレスを注文したいな~(<これも妄想)。
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