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「森ガール」な人々




友人から、「森ガール」という人々の話を聞いた。
彼女自身は、「森ガール」の条件すべてにあてはまるわけではないが、「異端森ガール」という気分になることがあるそうだ。

毎度いろんな種が現れますな。
まるで日本社会全体がポケモンワールドのようだ。


日本社会では、ある共通項目(思いつきでポジティブ・スティグマと名付けよう)を持つ人々をカテゴライズして名前を与えるのが盛んだ。
最近では...古い!と失笑を買うかもしれないが、負け犬/勝ち犬、草食系男子/肉食系男子とか?



われわれは「理解が及ばない闇」に対して不安を感じる。
大昔から人間はべったり広がる自然界を恐れ、そこへ切れ目を入れ、整理整頓し、発動の因果関係を予想可能にし、納得し、安心を得てきた。
何やらモヤモヤした得体の知れないものに名を与える(八百万の神がそのよい例だ)ことにより、固定の意味に縛りつけてしまうのだ。
操作可能、予測可能になると、人間の不安は大部分取り除かれる。
また、物事を単純化することによってその場その場の思考を節約、あるいは放棄することができ、何かと楽になる。

己に何かと分かりやすい名をつけてポジティブ・スティグマにしてしまう人たちは、自分を固定化、単純化することと交換に、アイデンティティの安定を得ているのかな、たぶん。


日本には単一民族神話が長く生き延びることができるだけの「べったり広がる自然」(この場合、隣人同士が感じるお互いの近似感覚や親近感など)が、世界の他の場所に比べて(それが幻想にすぎないにしても)あった/あるのだ、と仮定してみよう。
隣人が全く別の言語を話したり、肌の色や髪の色が全く違ったり、得体の知れない風習や信仰を持っていたり、という未知との遭遇に対してわれわれが初心だった/だから、今も「森ガール」やら「アシヤレーヌ(死語)」などといったカテゴライズが無邪気に増産されているのかも...

こういったカテゴライズには欠点もあり、個人間のコミュニケーションを妨げたり、場合によっては権力に利用されることになったりする。



あるいは他の説明をするとしたら、日本人は「型」が好きだと言えるかもしれない。
ほら、美人画の型とか、役者の型とか。様式美を重んじる、ということですな。



まさしくこうやってキッチュな分析をして楽しんでいるわたしの行為こそが「理解が及ばぬ闇」に切れ目を入れる行為そのものなのだが。拾集がつかなくなる前に筆を置くことにしよう。




最後にゴッフマンの「スティグマの社会学」から:

「社会は、人々をいくつかのカテゴリーに区分する手段と、それぞれのカテゴリーの成員に一般的で自然に感じられる属性のいっさいを画定する。さまざまな社会的場面が、そこで通常出会う人々のカテゴリーを決定する。状況のはっきりした場面では、社会的交渉の決まった手順があるので、われわれはとくに注意したり頭を使わなくても、予想されている他者と交渉することができる。したがって、未知の人が面前に現れても、われわれは普通、最初に目に付く外見から、彼のカテゴリーとか属性、すなわち彼の<社会的アイデンティティ>を想定することが出来るのである。」


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