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the sleeping beauty, natalia osipova 再び



Margot Fonteynのオーロラ姫、第二幕幻想シーンの衣装。
Margot Fonteynはロイヤル・バレエの一番最初のオーロラ姫だったそうだ。


前回、Natalia Osipovaの『眠れる森の美女』がよくなかった...と認めたのはかなり辛かった。ファンってその対象に同化してしまうんですね!

今シーズン2回目の舞台は絶対に改善されたはずだ! 前回はまだ温まっていなかっただけだ! と勇んで見に行った。


前回よりはずいぶんよかったと思う!
まず、前回はファンとしても無視しようにもできなかった、音楽が余ったり、無駄な動きがあったり(彼女にしてはありえない)、パートナーのDavid Hallbergと一緒に稽古する時間が足りなかったのか? と思わざるをえなかった部分などはかなり改善されていたが、彼女の一番いいパフォーマンスに比較したらやっぱり物足りなさが否めない。何があったのか心配になるくらいだ。

ひょっとして舞台が狭すぎるのか? わたしの座席からの角度が悪いのか? わたしが期待し過ぎているからか? と他の要素のせいにしたくなる。

第一、踊っていて全然楽しそうじゃないのだもの...


彼女が得意なターンの類は回転も十分だし、バランスも取れているし、引き上がっているしで美しい。

一方で、あの誰にも真似できない血の通った優雅さ軽さは一体どこに行ってしまったのだろう...16歳の喜びに光が炸裂するようなあの動きがもう一度見たい。
誰でもかつては16歳だった。ゆえに説得力があるオーロラ姫は桁違いの感動を呼ぶのだ。

 
David Hallbergも美しいのだが、どこかしんどそうに見える。実際にしんどいのかどうかはもちろん別にして観客に「しんどそう」と思わせてはいけない。


それはそれとして会場は割れるくらいの喝采だった。


もう『眠れる森の美女』は諦めて次の『オネーギン』を楽しみにしよう...
『眠れる森の美女』はMarianela Nunezがひかえているし...



1960年代のWoodland Grade(森林)の妖精の衣装。


昨夜のステージで一番美しかったのはリラの精の金子扶生さんだった。誰も文句はないと思う。
容姿の美しさは抜群、こんな美しい人がいるのかとうっとりする。気品も踊りの美しさも、死と再生を司る女神そのもの。

残念ながら彼女がオーロラ姫を踊る回を見る予定はないのだが、とても見たくなってきた...

来年は絶対にロイヤルバレエに日本人プリンシパル3人割拠の時代になると思う(現プリンシパルの高田茜さんと平野亮一さん)。


...


わたしの使う鉄道会社が昨日からストライキに突入...なんと1月2日まで、きっちり一ヶ月間。
英国病とはよくいったものである。
今度の選挙で労働党は組合の権利を復活させると公約にあげているため、わたしは常にプロレタリアートとしてプロレタリアートの味方であるが、もしそうなったらあの悪夢の英国病が再発...怒っている自分が簡単に想像できる。

で、最終電車が23時という無慈悲さ。しかもそれは各駅電車。
ロンドンの飲食店の商売あがったりじゃない?

一つ前の特急に乗るため、昨夜はカーテンコールを待たずに会場を出、ルブタンで走りに走る。「キャリー・ブラッドショウか!」とひとり突っ込む。
心はものすごく先を走っているのに、足が全然ついてこず、老化を実感。Natalia Osipovaの羽根のような軽さはどこへ...なんていう資格はないドタバタ。

80年代はコメックス(今調べたらまだあるのですね、この神戸発のブランド)のハイヒールでいくらでも走ったのになあ!

師走なのです。
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