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おいでと世界がわたしを呼ぶ




その1の、なんとなく続きです。

全記事の、NHK特集のシルクロードで、外国への憧れを紡いだ...のには全段がある。

『シルクロード』の放送開始が1981年。
その年は、神戸ではポートピア81なども開催され、「世界的な動きが加速する中、戦後日本経済は80年代後半におけるバブル経済によって絶頂期を迎える。」(ウィキペディアより)。
円高が進み、海外に目が向き、今の生活はどんなでも、今後はどんどんよくなっていく、という右肩上がりの希望に満ちた時代だった。


『飛んでイスタンブール』が78年、『異邦人』が1979年のヒット曲。
78年は成田空港が開港されている。

当時は『飛んでイスタンブール』の歌詞の意味が理解できず、変な曲という感想しかなかったが、今聞いてみるとめちゃくちゃいい曲ではないか。歌謡曲という制約の中に、旅する自由、恋愛する自由、経済的な自由、知る自由、「自由」が詰まっている。

まあ、この「自由」は、消費の頭数を増やすことによって資本主義をますます加速させた上、「自由とは他の人々を自由するためにある」というネルソン・マンデラの社会的な「自由」に比べると、ものすごく卑小な「自由」ではあるが。


『異邦人』とて、意味が理解できるようになったのは大人になってからだ。


その通奏低音がジェットストリーム(1967-)だったことは言うまでもない。
兼高かおる 世界の旅(1959-1990)や、なるほどザ・ワールド(1981-1996)のことも書いておこう。

妹と二人きりの最初の海外旅行(80年代後半)にイスタンブールが入っていたのも偶然ではない。



シルクロードの東の終点といえばこちら


今は新型コロナの感染拡大でドメスティックな生活をしているが、あの頃のわたしが今のわたしを知ったらどう思うだろうか。
ロンドンの近くに住み、好きに旅行の多い生活をしているところは「やった!」と思うかもしれない。
「シルクロード」の歴史も、もっと解明されたのだね、と喜ぶかもしれない。

が、わたしはあの頃のわたしに、今の世界を誇れるだろうか。
わたしは、他の人々をより自由にするために、何かしてきただろうか、自分が「自由」を行使するために他の人の自由を踏みつけにしていはしないだろうか、と。



すでに他にこんなことを書いていたのを発見。

ポール・モーリアの思い出
jet streamの夜  
おいでイスタンブール
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