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薔薇は薔薇





昨日、ロイヤル・バレエのRomeo and Juliet『ロメオとジュリエット』を鑑賞する前に、インサイト(ロイヤル・オペラが主催するレクチャーなどの会)でRomeo and Juliet and Me『ロメオとジュリエットと私』というレクチャーを聞いた。

出演者はバレエ批評家David Jaysがインタビューする形式で、ファースト・ソリストJames Hayと、プリンシパル・キャラクター・アーティストのChristopher Saunders。

内容自体は特別「インサイト」(洞察、見抜く)を受けるようなものではなかったが、ひとつ、シロウトなりに思うところがあった。


男性の現役バレエダンサーは美しい。
筋肉のつき方やバランスの美しさはもちろん、姿勢や体の自然な置き方の美しいことよ。素でそこに立っているだけで華がある。
優雅で強く均衡のとれ、しかもそれが全く自然な、まるでギリシャ的な美しさである。

この美しさというのも普遍的なものではない。
西洋文化では男性の身体の美しさはギリシャ的な筋肉の美しさであり、うっかりこの話を日本の友達にしたら「日本ではそういうのは受け入れられない」と言われ、そうか、普遍性はないのだとハッとしたのだ。

まあそれはともかく、西洋で生まれたバレエの男性ダンサーの美しさのひとつは、筋肉の美しさにある。

プラス、舞台の上での、身体能力や運動神経、空間認識能力や音楽性、演技力、理解力...このリストは半永久的に続く...言語を介在させない芸術の表現者として際立っている。

しかし。

彼らが普通の服を着て、インタビューされる立場になり、「バレエ」という総合芸術を言語化する場面になると、もちろん例外はあると強く断っておくが、「あれ? あまり頭良くないのかも...読書習慣なさそう...」と感じることがあまりにも多い。やっぱり彼らは私服でも美しいけど。

一方、女性ダンサーはこの限りではない。
舞台の上でスターとして際立ち、インタビューに答えて頭の回転が良く、言葉を選び、理路整然と、おおそうか! と膝をたたきたくなるような受け答えをするダンサーをわたしは幾人も見てきた。
繰り返し断るが、これにはもちろん例外があるし、わたしのしょうもない印象、バイヤスに過ぎない。


バレエは言語を介在させないアートである。そのアーティストには言語化能力というのは必要性のプライオリティが高くないのかもしれない。

奇しくもジュリエットは「薔薇は薔薇という名前じゃなくてもいい香りがする。名前なんて何の意味もない」的なことを言っていて、身体表現者にとってはそういうものなのかもしれない。


われわれ人間は、頭の中では何かを感じたり、考えたり、知識や経験や、アイデアのパーツがあれこれ散らばっていると思っている。
しかし、逆である。これらは言語化しないことには空っぽである。

われわれは頭の中にすでにあることを言語化(話す)のではない。考えながら言語化(話す)のですらなく、言語化する(話す)から考えるのである。

ということは、わたしが見た何人かの少なくとも「言語化」が下手くそで読書習慣のないように見えるダンサーというのは、「踊るから考える」タイプの方なのかも...
頭の中にすでにあることを踊りで表現するのではなく、踊りながら考えるのでもなく、踊るから考えるタイプの人...これを世の中では筋肉バカというのかもしれない。そういう意味でぜんぜんバカじゃないですね!


さて、話が長い(いつものこと)が先がある。

ダンサーの中には、身体を表現手段に使う年齢的なピークが終わってからも、いやそのキャリアの途中からでも、ディレクターやコーチ、ステージングやプロデューサーや、そして特に振付師として活躍する一握りの人たちがいる。

こういった類の仕事ができるひとというのは身体表現だけでなく、言語運用能力にもすぐれた、両方いける人なのではないか...たとえば昨日のChristopher Saunders。
彼はキャラクター・アーティストで、ジュリエットの父親キャピュレット卿役を演じながら、リハーサル・ダイレクターやステージングもやっておられる。


どうなのだろう。現場の方の話を伺ったことがない(昨日は質問コーナーがあったが、失礼で聞けない。男性ダンサーが白痴美だなんて)から分からない。



そういえば、音楽家には話の上手い人が多いが、その辺はどうなのだろう...
特に、Boris Giltburgは音楽の言語化がうまく(前も書いたかしら)、ガーディアンなどにもコラムを持っていて、とても勉強になる。


...


本番バレエの方は、ジュリエットMarianela Nunez、ロメオJacopo Tissi。この組み合わせで見るのは今シーズン2回目だ。

マリアネラは頭が良さそうだ...
ヤコポは若いというのもあるがそこは美しさでカバー。大根役者という雰囲気がぬぐえないが、それは今後に期待している。
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