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ネバーランド




5年ぶりにアメリカに来た娘は、彼女が見た範囲に限っての話だが、

アメリカの「幼さ」に驚いている

と言った。


1を見て10を知ったかのように思うのは控えなければならないが(東京を日本全国に当てはめることはできないし)、以下、わたしたちがLAで感じたことを書く。


娘は、アメリカという国そのものも(トクヴィルを読んでいったのだった)、そして人々の話し方、声のトーン、言葉の選び方、動作、服装、食べ物などの嗜好...が、老いも若きも男も女も同じであると感じて驚いているのだった。


彼女が滞在中に出会った人々の中には、旅行中しばしばかかわるサービス業に携わる人たちだけでなく、ファストフード店やショッピングモールの客から、アメリカの他所から来た観光客、ビバリーヒルズの桁違いの金持ち、会社のCEOなどもいたのである。

例えば、「美術館で、ほとんどストックフレーズ(「おお神様!」「分かる?」など)だけを使って、高めの大声で会話する人々」のほうを振り向いたら、少年少女たちではなく、初老のグループだったのはちょっとショックだった、などと言った。
美術館というのは、彼女にとっては、子供もちょっと気取って作法に従っていれば、渋い大人扱いをしてもらえるステキな場所だからだ。


アメリカはおそらく、人々が年功序列の差なく平等であることと、人々が永遠の青春時代を送ることを選んだ国である。

それが悪いと言うつもりは全くない。
それがまぶしく、うらやましく見えることすらある。
わたしの母は、老人も少年もファーストネームで自己紹介し、敬語を使い分ける観念が薄く、ジーンズをはいて道端で瓶からコカコーラ飲むのを「板についたカジュアル」でうらやましいと思ったと繰り返し言っていたが、そのような感覚。


それで気づいたことだが、欧州では、接客業の人などがわたしや娘に話しかけてくるときには、必ず「マダム」という敬称を使ってくる。

娘は16歳で明らかに幼さの残る顔をしているにもかかわらず、「マダム」と呼びかけられる。彼らは実際よりも相手を「より社会的に成熟した相手」として選んだ敬称を使ってくるのだと思う。

わたしはこれには一定の効果があると感じている。相手から「成熟した人物」として扱われたら、こちらの行動も多少は重々しく丁寧に、寛容になるのが人間ではないか。ちがう? 
「自分の利益や権利主張よりも、社会が円滑であることを優先してそこに責任を持ち、だからやせ我慢をしてちょっと気取っている」ことが「大人」の条件であると思っているので、少なくともわたしには効果がある、と言っておこうか。


しかしカリフォルニアでは相変わらず誰もがわたしを「ミス」と呼び、レストランなどでも娘の存在を確認すると必ず「お子様メニューは必要か」と聞かれた。欧州では社交辞令にしろ、まずは「大人」扱いにされることに慣れた娘は、ティーンらしく最初かなり憤っていた。


アメリカでは、欧州とは反対に、相手を「実際よりも若く設定することが敬意を表すこと」なのだろうか。




そういえばホテルでテレビをつけてみても盛んなのは、実年齢よりも若く見えることが最高! と謳うクリームの販売や、若い肉体を回復しなければ未来はないと断言するエクササイズ器具のプロモーションであった。
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