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Brugge Style
ルーヴル美術館 特別展 チマブーエ再発見
13世紀 長篇メートル近くあり、巨大。天使が人間の実物大
人物が実際骨格を持ち、薄衣から背後の布地の色が透ける様子まで表現されている
今回、ノルマンディ地方のルーアンで一泊してパリに来たのは、ルーヴル美術館で開催されている13世紀イタリアの芸術家、チマブーエ再発見の展覧会を見るためだ。
記憶をたぐろう。
2019年、驚愕のニュースが駆け巡った。
フランス北部コンピエーニュに住む老齢の女性のキッチンで、チマブーエのテンペラ画が発見された。
その絵画は『嘲笑されるキリスト』。
エルサレムで逮捕されたイエスが、磔刑までの段階で人々によって笑われ、馬鹿にされるシーンである。
左上はロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵の『聖母子と二人の天使』
右下はNYフリック・コレクション『鞭打ちされるキリスト』
多翼祭壇画(おそらく8枚)のうちの3枚(他は失われている)と考えられている
キッチンのコンロの上で長年熱にさらされていたため(!)、痛みは相当激しかったらしいが、オークションで29億円(当時)で落札後、フランスの国宝に指定され、パリのルーヴル美術館の所有となった。
キッチンから国宝!!
しかも、ルネサンスの夜明け、芸術史の大きな転換を切り開いたチマブーエの作品!
人間の肉体を持ち、苦しむキリストを表現
この表現は当時全く新しかった
さて、チマブーエの重要性。
チマブーエは、従来のビザンティン的なイコンに、「時間」と「空間」を導入した。
ビザンティン様式の聖画(イコン)は、厳格な形式の中で、主題である聖母子の表情も服装も硬直、時間と空間の概念が排除され、職人によってコピー&ペーストされていた。
時間と空間の概念、表現の自由が排除されていたことには、技術が未熟だったからというよりは、偶像崇拝を避けるためという目的があったからだ。
イコンは「偶像崇拝」のそしりを免れるために、絵は背後にある聖性を映す単なるスクリーンにすぎない、と考えられていたため、作者の独創性や創造性の発揮は固く禁じられていたのである。
チマブーエはその絵に立体感や感情を導入し、人物の動きや表情に「変化の兆し」を与える。
つまり時間と空間を表現したのだ。
自然な赤ん坊の仕草で母親の頬に触れる幼子イエス
わかりやすい変化の例はこちら、幼子イエスが、母マリアの頬に無邪気に触れている。
ドゥッチョに影響を受けて展開された作品では、さらにイエスは母に頬を寄せ、首に手を巻きつけている。
それまで、イコンの聖母子像に、親愛の情を表現したり、動きを加味することはなかったのである。
チマブーエが「時間と空間の概念を導入した」ことで、「ひとつの瞬間に複数の時間が同居する」ジョットへと続くルネサンス的表現が可能になった。
時間がなければ、観る側の想像力も動き出さない。 つまり、芸術作品が実在しないものを「あるように」思わせるには、時間という舞台の上で鑑賞者の意識を動かす必要があるのである。
もし芸術が「完全に固定され、変化しないもの」だったとしたら、それは単なる記号に過ぎず、感動という人間中心的な「動き」は生まれないのであろう。
ルネサンスの本質が「空間と時間の再発見」だったことを如実に示しているのではないだろうか。
鑑賞者を祝福するかわりに自身を指さす愛らしいイエスの、赤ん坊らしい間違いを写実的に捉えている
母マリアの(子の将来を知る)悲しみ深い表情よ
ベリーニは赤ん坊を描かせると天下一品である
他には岩館真理子がいる(笑)
最近、考えたことに共通するのは、
人間が考える美のひとつの基準である黄金比は、完全な規則性ではなく、動的なバランス「ゆらぎ」を持つという。
それこそが、人間が「時間の流れの中で美を感じる」感覚なのかもしれない。
つまり、黄金比が人間にとって美しく感じられるのは、それが単なる静的な規則ではなく、「時間とともにあり、変化する美しさ」を体験させるものだからだ。
......
ルーヴルでは、『モナ・リザ』の部屋の痛み具合が喫緊の問題になっているという。
部屋はバーゲン会場のようで、例えばティチアーノのすばらしい作品が多く展示されているのに、どなたも見向きもしないという残念さ。
しかも、その外側の部屋にはレオナルドの重要な作品が何点もあるというのに、ほとんどどなたも立ち止まっていない。
そりゃ、『モナ・リザ』は彼女の視線の動きや、背景、動的なバランス「ゆらぎ」からしてお手本のような作品であり、人の心を惹きつけてやまないとは思うが。
『モナ・リザ』だけのための小屋を作って、そちらに展示すればいいのに...オランジェリー美術館にモネの『睡蓮』だけが飾ってあるように。
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