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午前2時のナルキッソス




夜中に下に降りて行ったら、100本の黄水仙が妖しく、夜中の熱帯魚とか、夜中の宝石店とかそういう風情だと思った。

清楚な花かと思っていたが、さすがナルキッソスが姿を変えた花だ。


「ナルキッソス」をまた持ち出したのには理由がある。

ギリシャ神話のナルキッソスの話、これはうぬぼれやの若い男がどのように身を滅ぼすかというのが骨子ではなく、「美」についてなのではないか、と思ったのだ。

昨日、「美」というものは、常に過ぎ去る「いまここ」にしかなく、けっして手が届かず、触れると同時に崩壊し、自分のなかに記憶と予想としてだけあるようなものなのか、というようなことを書いた。


バーナード・エヴスリンの『ギリシャ神話小事典』(小林稔訳 教養文庫)のナルキッソスの項はそっけない。

美しい若者ナルキッソスはうぬぼれが強く、ニンフである美しいエコーの求愛すらも拒む。
愛の女神アプロディーテーは彼の態度を愛に対する侮辱ととらえて怒り、ナルキッソスを愛する者が彼を所有できないようにしてしまう
彼は女性からも男性からも愛されており、例えば彼に恋したアメイニアスは、彼を手に入れられないことに絶望し、自殺するほどだ。

結局美しいナルキッソスは自分自身にだけ夢中になる。

オウィディウスの『変身物語』第3巻(中村善也訳 岩波文庫)にはこのように書いてある。

「食事ヘの思いも、睡眠への配慮も、彼(ナルキッソス)をその場から引き離すことはできなかった。木陰の草原に身を投げ出して、みち足りぬ眼で、偽りの姿を見つめている。そのみずからの目によって、自身が滅び去ろうとしているのだ。」

「おまえに腕をさしのべると、そちらからも腕をのばして来る。笑えば、笑いが返って来る。こちらが涙すれば、おまえのほうでも泣いている--それにも、しばしば気づいているのだ。うなずきにも、うなずきで答えてくれる。美しい口もとの動きから察するかぎり、言葉を返してくれてもいる。ただ、それがこちらの耳にとどかないだけだ!わかった!それはわたしだったのだ。」

わたしが望んでいるものは、わたしのなかにある。」


これ、(昨日書いた)『ヴェニスに死す』?!
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