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Brugge Style
赤い家
今朝は早起き、ロンドンのヒースロー空港のラウンジで書いている。
......
ロイヤル・アカデミーのあるバーリントン・ハウスの中庭の「変化する対象・サイコの家」
Cornelia Parker Transitional Object (PsychoBarn)
ヒッチコックの映画「サイコ」と、ホッパーの絵「線路脇の家」をモデルにしたこの「対象」は
故意のパラドックス、善悪の両極性を表しているそうだ。
立体的に見えるがファサードのみで、裏側はメタルの足場であり、
「家の中」に入ることはできない。
特にこの時期、赤色の家はクリスマス・ヴィレッジの家のようでかわいらしく
クリスマスの雰囲気を象徴しているかに見えるが
(この向かい側の百貨店フォートナム・メイソンの華やかなクリスマスツリーや
おどけた表情の雪だるま、カラフルなプレゼントの山を積んだら映えるだろう)
同時にかすかな違和感や禍々しさもあり
われわれが見る物には表面上とは全く異なったメッセージがあるかもしれない、
と(わたしの解釈です)。
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klimt / schiele: drawings
ロイヤル・アカデミーで開催中の Klimt / Schiele: Drawings「クリムトとシーレの線描画展」へ。
先月ウィーンを訪れてウィーン世紀末芸術の雰囲気に浸ってきたつもりなのでとてもよいタイミング。復習になる。
セセッション館のクリムト作「ベートベン・フリース」の下絵や、スキャンダラスが過ぎると実現しなかったクリムトの「医学」の下絵なども見ることができた。
来月もクリスマス・マーケットを目的にウィーンへ行く予定なので予習にもなった。
クリムトとシーレには28歳差があり、お互いの興味を分かち合い、作風に影響を与え合い、(美術モデルを用いる、人間身体構造への尽きぬ興味など)はからずも両者とも今からちょうど100年前の1918年に亡くなっている。
シーレが、最初の作風は、すでに傑出していたクリムトに激似だったのが、次第に自信をつけるかのように唯一無二の作風へ変化していく。その様子が素人目にも明らかで、とても興味深かった。
事実、シーレはクリムトの後継者を公認され自認もしていたようだ。
また、西洋絵画が追求してきた平面上の三次元表現の手法としての「影」を、彼らはほとんど描き入れることなく立体(身体)を現している。これがすばらしい。
当然、東洋絵画の影響を受けていると思うのだが、シーレが「落款」風のサインを書き入れているのがとても魅力的に思えた。
面白いと思ったのは、クリムトは当時の社交界で肖像画画家として引く手数多であった。
彼の描く、写実的でありながら透明感に輝く女性像、優美な色合いはブルガリのネックレスのようで、どこまでも美しく、まあ誰でもこう描いて欲しいわな、という感じがする。
一方でシーレには肖像画家としての人気はなかった。それは彼の作品を見ればなるほど、と思う。
芸術的には天才的でも、肖像画となれば...誰も自己愛からは逃れられないのである。
事実、クリムトはその人間の顔立ちよりも身体を包み込む服飾のライン、シーレは表情そのものを描き込んだという。
ますます世紀末ウイーンへの思慕が募った。
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