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クララの夢








ロイヤル・バレエのピーター・ライト版「くるみ割り人形」を。

今年はピーター・ライト卿が90歳を迎えたので、その記念碑的な公演。

年末にはこのライプニツ的な出し物が絶対に必要だ!


わたしは大絶賛時差ぼけ中、きっと寝てしまうだろうとは思っていたが

やっぱりクララが夢を見始めるシーンで徐々に目が寄り始め、一緒になって夢の世界へ。

そりゃチャイコフスキーの音楽が夢の導入にふさわしいからでしょう!


死ぬときがきたら、こうやって死にたいなあ。


クララが夢を見ている世界の夢を見ているわたし...

の夢を見ている人がどこかにいるのかも。


(写真はroh.org.ukより。シュガー・プラムの妖精にして
クララの夢世界の女王、Lauren Cuthbertson)



ロイヤル・バレエの「くるみ割り人形」ピーター・ライト版は、舞台装置や衣装、振り付けの華やかさと、ダンサーの力量、オーケストラの完璧さですばらしい仕上がりなのだが、ストーリー的にはわたしの一番の好みとはいえない。

なぜ青年がくるみ割り人形にされたのか、なぜその魔法を解くのに愛が必要なのかの説明が回りくどすぎるし(常々このブログにも書いているように、ロイヤル・バレエの特徴の一つは「説明しすぎ」なことだと思う)、少女クララがなぜこんな夢を見たのかの伏線を張りすぎだと感じるからである。

夢の世界とは、目覚めて振り返ってみればヘンテコだが、そこで起きていることと起きていることへの解釈の間に全く距離がないものなのであり(だから夢は素敵なのだ)、いちいち解釈・説明したり伏線を張ったりしては「夢」でなくなると思うからである。

また少女の夢としては、夢の国を訪れて妖精の女王に会うよりも、自分自身が妖精の女王になる、というバージョンの方が、わたしにとっては説得力がある。


しかし、いろいろなバージョンがあること自体がすばらしい。これからも「くるみ割り人形」はいろいろな解釈を許し、いろいろなバージョンを産むだろう。鹿島茂曰く、「永遠に更新される価値を秘めた小説、これこそが古典の本質」。
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