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貧すれば鈍する








貧すれば鈍する...

最近、目の前のことばかりに気を取られていて、何一つ考えていない。
まあ、わたしの考えは休むに似たり、だが。


考える、とはどういうことか。

街Aから学校まではこのルートで何分で、街Bからは何分かかるとか、リビングのカーテンは何がいいだろうかとか、今は買い時かとか、そういうことを考えることを「考える」とは言わないのである(そういうことなら一日中考えていて病みそうだ)。

「考える」とは、自分が何かについて考える時、どんな方法で考えることを社会的慣習的に強いられているのか、について考えることを言う。

例えばうちの娘が宿題で「貧困について」作文しなければならないとする。
その時、制度に不備があると意見を述べたり、自分ならどうするか(教育を受け直せばいいとか等)を紹介するだけでは不十分なのである。

自分は「西ヨーロッパ地方都市在住の、カトリックの学校へ通う、専門職に就く親を持つ、核家族のメンバーである、11歳の女の子であり、思想的にはアナキストで、実質コンサバ、認めたくないけど。」という方法で考えることを強いられている、その「強いられ方」を考えるのが「考える」ということなのである。
言い替えると、一番「当たり前」と思っていることをまず疑う、という感じだろうか。



すっごく豊かになってすっごく鋭くなりたいです(笑)。

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