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Brugge Style
こころ
飛行機の中で読むために書斎の机の上に積んであった本をひっつかんでかばんに入れた。
数時間後、機内で取り出したら、その本は表紙がカールしたまま、もとに戻らなくなった新潮文庫版の「こころ」だった。
ずいぶん前に読みかけて放置しておいたオースターの「孤独の発明」を取り上げたはずだったのに...
「孤独の発明」は半分を過ぎた辺りからイライラし始め、一度も読み終えたことがなかったのだ。
そういうわけで機内で漱石ブームが再々来(わたしは1人の作家を読み始めると芋ズル式に同じ作家の作品を読む)。
米国から戻るやいなや、ベルギーへ移住するときの家財道具の一つ「ザ・漱石」という電話帳サイズの本を取り出す。漱石の全小説が一冊にまとめてあり、手持ちの文庫本や全集などとひきかえに持って行けばいいだろうと思って買った本である。全42篇。783ページ4段組み。2800円。すごい価値。
ところがこの本、鑑賞しにくいことこの上ないのである。電話帳だから寝転がって読めないし、待ち時間に読むためにバッグに入れておくこともできない。カフェで女が電話帳を取り出して読み始めたらそれはそれで絵柄としてはおもしろいけど。
わたしにとっては、小説は手の中に落ち着くサイズで、各ページに限られた数の字が並んでいてこそ「小説」なのである。小説は単に字による情報ではなく、あのかたちで完結した「アート」なのだ(特に文庫本の美!)。コンピューター画面で小説を読む気にならないのも、電子ブックを買う気にならないのも、「小説」の体裁が失われているからだ。
ああそれからわたしは紙を触っていると落ち着くので、単にそういうリピドー発達段階に属している(笑)という説明もできるかな。
などと文句を言いつつ、体をこっちに傾けたり、あっちに延ばしたりして「虞美人草」の藤尾登場場面にこころをときめかす。
人生五十年で逝った漱石の年表を眺めていると、自分の未熟さに泣きたくなる...あの頃は若い時分から成熟して見せるのが知識人のポーズだったのだろうけれど、かっこいいなあ。
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