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ネフェルティティの微笑み




週末によく利用するブラッセルのティールームに、ネフェルティティ(遠くから来た美女)が出現。
新しいウエイトレスさんである。


年の頃17、8の彼女の美しさときたら、わたくしをしてその蜂蜜ホットケーキ色の横顔を観察するために不信な動きをとらせてしまうほどだ。傾国とはこういうかんばせのことを言うのか。

美女の基準というものは時代とともに変化し、「最も経済的パワーを誇る国の女が、その時代の美の基準になる」と言われるが、昔(って3000年くらい前)、エチオピアの美女が世界で一番美しいと謳われたころの基準を想像してみても、彼女の美貌ならば即王宮に召されただろう。
妄想の中で、宝石をちりばめた黄金の飾りを彼女の頭上にのせてみたりするのは、粘着質な楽しみでありすぎる。自粛。
と言うか、本を忘れてきたわたしは暇すぎるのだ(笑)。



ところで、美人は3日で飽きるなどと言うが、人間は他人の容貌の美醜に関係なく「慣れ」るのだと思う。
美人には3日で飽きるのではなく、「慣れ」、その反対の容貌にも、慣れるのである。

...ならば、結局は、人間には客観的に美を査定する能力は備わっていない、ということになるのかもしれない。あるいは、完全なる美がこの世にあるとして、また、人間に確実な査定能力が備わっていたとしても、その客観的美を好むか好まないかという「嗜好」はバラバラだ。
でもたぶんそれでいいのである。そこが世界がうまい具合にできているキモなのだ。査定能力と好みのばらつきこそが、人間を仕合わせにしているのである。


...



友人から回ってきた日本のTVを録画したDVDに、「魔女の宅急便」が入っていたので娘が鑑賞していた。途中コマーシャルのたびに日本の女性タレントの美しさには度肝を抜かれた...日本ってすごいことになってるんですな。さすが、経済大国じゃぱんは。「えっ?そう?そんなに綺麗?」と思ったあなたはきっと「慣れ」てしまっているのです!!


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