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insensatez




復活祭休みが始まったばかりの土曜日だったから、もう数週間前のことだ。


旅行の支度も早々に終え、春らしい晴天に誘われるまま街に出た。
特に買い物するものもなく、誰かと会う予定があるでもなく、お腹はすいてもいず、だからあてもなく。

何も予定のない休日は、たいてい街をぶらぶらしながらカフェに立ち寄るのが習慣で、いつものようにそうして楽しく過ごすつもりだった。


ところが一件目のテラス席に座っていると何か落ち着かない。
何かするべきことがあるのに忘れているような気がするのだ。しかし忘れていることなど何もない。
二件目で座っていても増々落ち着かない。「こんなことよりもっとせなあかんことがあるやん、何やったっけ?」とか「考えなあかんことがあるやん、何やったっけ?」「どっか他に行かなあかんとこがあるやん、どこやったっけ?」などという気持ちが浮かんでくるから、夫の話も上の空で聞いていた。
おまけに乾燥しているからか、光があまりにも強いせいか、埃っぽいからか分からないが、風景がいやに漂白したように見えて、今ここに座っていること自体が間違っているような気がした。

ブルージュの、始まりも終わりもない運河のように繰り返される無神経な毎日。

そんなことだから大好物のプラムのタルトも、紅茶も、ワインも、毎朝サプリを飲み下す時のように口に運んで飲み込んだだけだった。


結局忘れ物を思いつかないまま帰宅したら、何通かメールが入っていて、重要度は低いものの、急な決断と返事をしなければならなかった。

そこでなぜだか泣きたいような気持ちになった。

機嫌が悪くなったわたしがいつもするように、風呂場のロイドルームに座って、暗くなって行く窓の外(そこから見えるのはレンガの壁だけなのだが)を眺めてずっと座っていた。


.....


こういうことは誰にでもあることだと思う。
少なくともわたしがこれまで読んだ小説には同じような精神状態について、わたしの駄文とは比較の方法もないくらい上手く書かれていた(例えば森鴎外の「カズイスチカ」とか、古井由吉の「野川」とか)。
なぜそのような気持ちになることがあるのかわたしなりに考えてみたが、ここに書けば書くほど「すべる」ような感じがするから書くのは止めた。

こういうことは、自信を持って言えるが、「小説の領域」なのだと思う。


...


5/10追記
タイトルの「insentatez」について友人から聞かれた。How Insensitive ...ボサノバのクラシックです。
さまざまなバージョンがあるが、わたしが一番一番好きなのは、 Antonio Carlos Jobim / compact jazz best of bossanovaに入っているもの。


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