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Brugge Style
ハレルヤ
クリスマスの飾りの中に、わたしが何十年も大切にしている小さなポーセリンの天使がある。
...幼稚園を卒業した数日後、母とともに担任の先生のお宅に招かれた。
お玄関には聖歌隊を構成する天使の置物が数体飾ってあり、辞する時に先生が手紙とともにそのうちの一体をわたしに選ぶように言ったのだった。
そのかわいらしい天使にわたしは驚喜。
手紙は最後、こうしめくくってあった。
「...かしこくなってください。」
「かしこくなってください」という言葉は、6歳のわたしの頭をずいぶん悩ませた。この手紙文の最後に全くフィットしないように思われたのだ。この据わりの悪い言葉が手紙全体を汚したような気すらした。
「この場合は『かしこい”ひと”になってください』と書く方が自然じゃないか?お利口になってくださいに置き換えてはどうだろうか?お勉強をがんばってくださいという意味だろうか?...
かしこくなって下さいっていったいどういうこと!?」
等々、子どもの時間感覚ではかなり長い間考えたものだった。
ここが「かしこくなってください」ではなく、例えば「小学校でお勉強がんばって下さい」とか「元気で笑顔を絶やさずにね」とかいう調子だったら、おそらくわたしは彼女の手紙やこの天使の置物のことなどすっかり忘れてしまっていたに違いない。
彼女の意図がどうであったにしろ(おそらく全く大意はないだろう)、わたしを悩ませたことで、おそらくその先生は最後に充分先生としての役割を果たしたのだと思う。禅問答のようだな。
先生はなぜこの言葉を選んだのか?
と、先生の(実はつまらないミスかもしれない)言葉をおそろしく含蓄のあるものと受け止め、考え始める。考え始めさせてくれる人はみんな「先生」なのだ。
ほら、学ぶ用意のある人は何からでも学べる、というではないか。
今となってはそんな風にも思えるが、それはわたしが「かしこく」なったからだろうか?
まさか。単に理由づけが上手い「大人」になっただけだ(笑)。
わたしがフツーの大人になったか、かしこい大人になったかには全く関知せず、この天使は相変わらずかわいい目を伏し目がちにして、口をまんまるに大きく開け、(あの日の)6歳の少女にハレルヤを歌い聞かせ続けているように思えるのである。
ハレルヤ。
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