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震災から10年




10年前、神戸で被災した。

当日は実家の2階の自分の部屋で寝ていて、死ぬとはこういうことか、とゆっくり思った。
前夜戯れに開いたノストラダムスの詩が頭に浮かんだ。

寝た体勢を強いられつつ、「ああ、もっと勉強しておけばよかった」という後悔の念だけが頭に浮かんできた。

おそらく老衰臨終まぎわにも同じことを考えるだろう。いや、むしろそう考えたいね。


そして「自分にとって命の次に必要なもの」は何よりもコンタクトレンズであるということを悟った。
化粧ポーチではなかったのだ(笑)。



その後、両親(特に母)は地元でボランティアに参加し続けたが、わたしは怪我をしていたため、大阪で3カ月間ホテル住いをした。


「トラウマ」という万能の言葉が知られ、傷ついていて当然と世間が認めてくれ、大学のテストも中止され、もともとのいいかげんな性格も幸いしてなんとかやりすごしてきたが、「元に戻らない」現象が次々と湧き出...

かなり長い間、電池が消耗した時計のように狂ったまま、であった。


自分の経験を特別化してしゃべりたくはないが、人間はああいうことがあっても生き延びることができるのだと思った。


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