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熟年オジサンの映画・観劇・読書の感想です。タイトルは『イヴの総て』のミュージカル化『アプローズ』の中の挿入歌です。

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コーチ・カーター

2005-12-31 | 映画
個人的には今ひとつ興味の沸かないスポーツであるバスケットボールと、ヒップホップ満載のMTVが製作した映画となれば、観る前からある程度の先入観を持ってしまい、観る気は失せてしまう。
実際、目的の映画の時間調整がつかなかった為、同じ映画館で上映されていたコチラに、殆ど時間潰しのつもりで入場したが…。
アメリカにはアフリカン・アメリカンのコミュニティー受けを狙った映画が厳然として存在している。本作もそのカテゴリーに属するのかと危惧したが、予想は完全に裏切られ、嬉しい誤算であった。
さすがMTV。音楽と映像のリズム感は抜群で、最近では珍しく理屈無しに熱く夢中にさせてくれた映画だ。

単なるスポ根モノと異なるのは、アメリカの社会構造と人種問題が自然に浮かび上がってきたからである。それは丁度、超大型ハリケーン"カテリーナ"襲撃の爪痕が露わにしたモノと同じである。
リッチモンド高校の生徒たちが自嘲的に言うように、彼等が住んでいるのは「神のいない町」であり、卒業後も大学より刑務所へ行く確率がはるかに高いという高校である。
スタート・ラインで、既に人生の選択肢が奪われた彼らの避難場所の一つがバスケットボールであり、家族にとっても思いは同じである。

そんな彼らの諦めの意識の改革者としてバスケのコーチ、カーター(サミュエル・ジャクソン)が登場する。
カーターのテーゼは「バスケのみで生きるのか?」
凄いと思うのは、ぬるま湯状況の日本の子供ならとても切実に考えないであろう、これから生きてゆく上での意識改革を、生徒だけでなく家族にも突きつけたことである。
これはカーターと学校との闘いであり、カーターとコミュニティーとの闘いでもある。
『コーチ・カーター』はアフリカン・アメリカンは依然として生き辛いということを正面切って訴えている。子供達に真の成長とは何か、ということを身を持って教えているから、我々観客も大いに勇気付けられる。

TVで観るハリーンの被災者の映像から、これがアメリカだとイメージするのは難しい。
映画『コーチ・カーター』も同様に、どこか第三世界のお話であるかのような錯覚に陥るが、これが世界一の大国の一側面であり、少なからずショックを受ける。
ヤクの売人から抜け出す部員のエピソードだけが甘く感じたが、心底良かったという安堵の気持ちの方が上回った。
『コーチ・カーター』は黒人物であるが、スポーツ物であり、学校物であり、そして何よりもアメリカ社会物である。



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