BRING UP

①子どもを育てる。養育する。しつける。②問題などを持ち出す。提起する。

来週の予定(4/24~4/30)

2005年04月22日 | Weblog
4月24日(日) 第20回(社)東入間青年会議所理事長旗争奪少年サッカー大会(2日目)
          対  象:6年生全員、5年生全員、4年生若干名
          会  場:富士見市運動公園サッカー場
          試合時刻:1日目の成績により決定

4月26日(火) 幼児 2:30~3:30  低学年 3:30~5:00  高学年4:45~6:45

4月28日(木) 低学年 3:30~5:00  高学年4:45~6:45 雨天中止

4月29日(土) 第20回(社)東入間青年会議所理事長旗争奪少年サッカー大会・記念イベント
          浦和レッズハートフルクラブコーチによるサッカー教室と大会表彰式
           対  象:教室参加は代表選手10名。見学は自由
           会  場:富士見市運動公園サッカー場
           時  間:9時10分開会、9時45分第1部教室、11時15分第2部教室、12時40分イベント閉会式及び大会表彰式

4月30日(土) 東入間青年会議所杯(予備日)

「スポーツは『よい子』を育てるか」

2005年04月22日 | Weblog
「スポーツは『よい子』を育てるか」
永井洋一著  現代人新書・日本放送出版協会発行  680円


はじめに

なぜ、人はスポーツをするのか……。それを深く考えたことがある人は、さほど多くはないでしょう。また、少年期のスポーツはどうあるべきか……。これを深く考えた事のある親も少ないでしょう。この本では、あえてそれを深く考えてもらいます。
 最初に、相撲の鳴門親方(元横綱隆の里)にお伺いした、興味深い話を紹介しましょう。親方は、横綱になった当時、「なぜ相撲を取るのか」「何のために相撲を取るのか」という哲学的な問いに対する答えを追い求めたといいます。ご存じのように、横綱は最高位であり、相撲人生の最終日標です。大関の地位に上がるまでは、「いつかは横綱に」という強い思いが闘志をかき立ててくれました。もっと下位のときには、豪華な食事をしたいとか、高級車を買いたいとか、家を建てたいということがモチベーションとなり、それが辛い稽古を乗り切る力になっていたそうです。ところが、横綱になってしまえばもう次の目標がなくなります。そこでさらに横綱らしい立派な相撲を取り続けるには、「何のために」という精神的な支えが必要になるというのです。
 鳴門親方は、「それは愛だね」とポツリと語りました。大きな身体の親方から「愛」などという優しい言葉が発せられたことに私は戸惑いましたが、話を聞いていくうちに納得しました。親方は、自分が横綱になれたのは、育ててくれた両親をはじめ、いろいろな人の支援があってのことという思いを強く抱きました。その人たちに対する感謝の念と、失望させてはいけないという責任感を「愛」という言葉で表したのです。親兄弟から出身地の青森県民、後援会で応援してくれる人々、一般のファンまで、自分が相撲に勝つことで多くの人々が安堵し、快活になり、ときには勇気を得る。自分の一挙一動が人々に影響を与えている。その期待に応えていこうとする思いが愛であり、横綱としての自分を終着点のない勝負に駆り立てていたというのです。
 相撲と西欧から輸入されたスポーツには多くの違いがあります。しかし、この鳴門親方の話は、「人はなぜスポーツをするのか」という問いに対して、ある種の示唆を与えてくれているのではないでしょうか。たかがスポーツであっても、この世にスポーツをする存在は人間以外にありません。ただ人間のみが、心身の活動をスポーツという形に昇華できる能力を持っています。また、「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉に示されるように、私たち人間は生物としてのメカニズムに支配されて生きるだけではなく、高度な精神活動を満たそうとする欲求を持っています。スポーツをすることに関しても、人間ならではの精神性が含まれているはずです。
 本書ではこのように、「人はなぜスポーツをするのか」という命題を折に触れて考えていきます。少年のスポーツからずいぶんと飛躍していると思えるかもしれませんが、そうではありません。むしろ、少年期こそ「人はなぜスポーツをするのか」という点について、少年自身も、親たちも、監督・コーチも、十分に考えなければならないのです。逆に、その点を十分に考えずにスポーツに深く関わっていくと、スポーツは単なる力比べごっこ、速さ比べごっことなってしまい、動物たちのボスの座争いと何ら変わりなくなってしまいます。私たち大人は、力ずくで相手を制した者が優れているということを知らしめるために、少年たちにスポーツを与えているのではないはずです。
 ところが日本では、この「なぜ人はスポーツをするのか」という思索を十分に巡らせる環境がありません。体育の授業は跳び箱やマット、鉄棒などのテクニックを教える場になっていますし、運動部に入っても少年たちは競技として勝つための方法しか伝授されません。そのため、日本でスポーツに携わる人の多くは、この根源的な問いに対して明確なビジョンを持たないまま、いたずらに体だけが鍛えられていくことになります。その結果、日本のスポーツ界は、「面倒なことを考える前に、まず目の前の勝負に勝つこと」といった、刹那的な視点を持つ人物が大勢を占める状況になっています。
 少年スポーツの世界も同じように刹那的な視点に支配されています。人はなぜスポーツをするのか、少年期にはどのようなスポーツ環境が必要か、などという根源的なことを見つめる姿勢はどこへやらで、勝つか負けるかという単純な判断基準でしかスポーツをとらえることができなくなっています。勝つためのチームづくり、勝つための練習、勝つための作戦、そうしたことに拘泥するあまり、少年期にスポーツをどのように与えるべきか、という大切な命題をすっかり忘れてしまっている監督・コーチ、そして親が多いのです。その結果、私から見れば、スポーツに深く関わることが成長発達に好ましい影響を与えるどころか、かえってスポーツをすることが少年の人格を歪めてしまうのではと心配される現象も増えています。
 子供の周囲を見回すと、論理的思考力の低下、思いやりの欠如、いじめなど、さまざまな社会問題がクローズアップされています。私は、そうした子供をめぐる社会問題と、少年スポーツの抱える問題との間には、共通する病理のようなものがあると感じています。言い換えれば、現代の子供が抱える社会問題を解決していくには、まず少年スポーツの現場から、子供に対する接し方を変えていかねばならないと感じています。
 少年スポーツに大きな影響力を及ぼすのは指導する監督・コーチですが、両親のスポーツ観も同じくらい大きな影響力を持っています。その意味で、この本の内容については、少年スポーツを指導する監督・コーチと、スポーツに親しんでいる少年少女の親たちに、大いに議論していただきたいと考えています。

永井 洋一
スポーツジャーナリスト。1955年横浜市生まれ。成城大学文芸学部在学中より少年サッカーの指導を始め、卒業後、社会人から高校生までを一貫指導するクラブを立ち上げる。その後、日産FC(現横浜F・マリノス)のコーチングスタッフ、スポーツ専門誌の編集を経てフリーとなり、サッカーを中心とした執筆活動を展開。著書に『絶対サッカー主義宣言1・2』『日本代表論』(ともに双葉社)他。


 お願いします。是非読んでください。
 伝道師になって、この本の内容を布教したいくらいです。
 スポーツは自動車と同じだと思います。現代社会になくてはならないもの、生活に密着したものです。ところが扱い方を間違えるととても悲惨な状況が現れます。すぐそこに。
 子ども達にとってのスポーツも取り組み方を間違えるとやはり悲惨な状況が現れます。近い将来に。
 スポーツとの接し方を間違えるとどのような害があるのか具体的に示されています。そして、我がクラブの進むべき方向を示しているようにも感じました。
 
「人はなぜスポーツをするのか」
「なぜ子どもにサッカーをやらせるのか」
「なぜ僕は、私はサッカーをするのか」

管制官

2005年04月22日 | Weblog
 「子供たちが無事離着陸できるよう」 この言葉、感じ入りました。間違いがあってはいけないのです。この世の中にいい加減な管制官はいないはずですから。私の管制の基本はお袋の教えです。そして親父の説教です。どんな権威の先生の講義より重いです。

「子ども怒るな、来た道だから。年寄り笑うな、行く道だから。」

 現代の飛行機はオートパイロットというシステムで自動だそうですね。子どもたちがオートパイロットで飛べるようプログラムを組まねばなりません。なかなかの難題です。