レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

「いかにも少女マンガの絵」

2011-12-04 05:59:08 | マンガ
『乙女の日本史』、『文学編』に続いて、先月出たのは『乙女の美術史 日本編』『世界編』。
 その『日本編』から若干引用。

 さて最近、「少女漫画」とカテゴライスされた作品は「少女」だけでなく、年齢的に大人になった女性、さらには男性の読者をも獲得するという事態が、拡大しているようです。
 また、読者たけでなく、漫画の描き手にも大きな変化が見られます。21世紀日本では『3月のライオン』の羽海野チカや、『きのう何食べた?』のよしながふみといった「いかにも少女漫画」という絵柄の描き手が、男性向けの漫画誌で活躍するようになっています。
 同じく男性誌では、ヤマザキマリの『テルマエ・ロマエ』や中村光の『聖おにいさん』など、著者は女性であっても絵柄や内容を見る限りでは対象読者の性別があいまいな、いわばボーダーレスな魅力を備えた作品も増えてきました。

 引用終わり。
 羽海野チカは読んだことないので言わないことにして、--よしながさんの絵は「いかにも少女マンガ」か? 「いかにも男マンガ」ふうだとも思わないけど、男性誌でも浮いてしまうということもないし、むしろ「りぼん」「なかよし」のような低年齢少女誌にあったほうが違和感あるだろう。

 とある機会に耳にした、若い男女の会話、『エロイカ~』を指して、
男:いかにも少女マンガって感じの絵だよね?
女:そう、ねぇ・・・。
 私は大いに驚いたものである。女の側の答えは、あまり賛成していないようだった。

 某新選組ムック(?)で、マンガいろいろを紹介していた際に、とあるBLに関して、「絵柄が少女マンガであまりごつくないのが救い」とか書かれていたけど、私の目にはあれはむしろいかつい絵に見えた。少女マンガ慣れしていない目にはあれでもソフトに見えたのか。その記事の書き手は男性だった(たぶん)。

 某掲示板で、新選組マンガの話題で、「若い子向きで、絵柄がばっちり少女マンガの作品ってなんだったかな?」--『PEACE MAKER』じゃない?」 というやりとりを見たときにも驚いた。私はこれをごく一部しか読んだことないけど、あれが「ばっちり少女マンガ」の絵か?

 言うまでもないけど、「いかにも少女マンガ」という指摘や感想には(本来)それじたいに善し悪しの判断があるわけではなく、上記の例でも、だからダメだという否定のニュアンスはない。 単に、私の思う「少女マンガ」らしい絵とは離れているので、感覚の違いに驚いているだけである。 私の好みの絵がすでに古いもの、少なくとも多数派ではなくなっていることは自覚している。

 世間で名の知られたもので、私の愛読しているマンガ、『聖おにいさん』 『ヘタリア』 『大奥』 『チェーザレ』 『テルマエ・ロマエ』
のうちで、最も絵の 上手い のは明らかに『テル・ロマ』、可愛い のは『ヘタリア』 だと言っても暴論ではないと思う。では「きれい」は・・・『チェーザレ』かな? 
 性別で分けると、作者が男性は『ヘタリア』だけ。掲載誌は前から順番に、青年誌、少年誌、少女誌、青年誌、青年誌。なるほどボーダーレス。
 メディアミックスは、映画化二つ、アニメ化一つ。『聖おに』は、--やめといたほうが無難。『チェーザレ』が洋画になったりしたら嬉しいけど、まずなんといっても話を進めないと・・・。

コメント (2)
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ヒロシの連想

2011-12-01 15:18:17 |   ことばや名前
「ヒロシ」という名前からの滑稽な連想が私には二つある。
 多くの人は、「ヒロシです・・・」を思うのだろうけど、私はそれをほとんど見たことないのでパス。
 一つは、これも世間で有名だろうけど、『ちびまる子ちゃん』の「父ヒロシ」。作者のエッセイでもお母さんのことは単に「母」と書いてあるのに、お父さんは「父は」「父ヒロシは」「ヒロシは」と書かれている。日本一有名な「父ヒロシ」であろう。
 もう一つは、20年以上まえに「LaLa」でやっていたコメディ『探偵日記』byくぼた尚子のある話。
 男の子が大きい犬を連れて歩いているところに知らない男が声をかけてくる。「なんて名前?」 「ヒロシ」
 男は誘拐犯。 そして「ヒロシ」は犬の名前である。
「ヒロシは預かった」と脅迫状が届くが、父親にしてみれば犬に2千万などバカな話で、「せいぜい5万円だ!」と電話で答えて、犯人たちは「なんて親だ!」とこちらも誤解する。
 誘拐された子供があまりの悪ガキで犯人たちのほうがひどい目にあうという展開は、O・ヘンリーの『赤い酋長の身代金』が下敷きだろう。くぼた尚子はアメリカ文学からの影響がちらほらと見える。

 清水義範『名前がいっぱい』(新潮文庫、でもいまはもう出てないだろう)所収の『さき と ゆうき』は、これから生まれる子供に名前を考えている若い夫婦の話で、個性的な名前がいい、「さき」「ゆうき」にしようと思うが、しかし統計ではこれらは全然「個性的」(珍しいという意味では)なく、そのころはたいへん多い名前であった。 そこで従来の日本人の新生児の多い名前が挙がっていたが、ずいぶん長いこと「ひろし」が上位3つにはいっていた。
 この先、上位にはいることはなくなっても、タカシとかタケシとかヒロシがなくなることはないであろう。

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