『ソニア・ウェイワードの帰還』 マイケル・イネス 論創社
元軍医のペティケート大佐は、ヨットの上で、ついさっきまで生きていた妻ソニアが急死しているのを発見する。売れっ子作家である妻の稼ぎに頼っている事実上ヒモのような状態(退役大佐といってもまだ若い)のペディケート、妻に死なれては困るので、遺体を海に捨てて、妻の書きかけの小説を自分で書き続ける。しかし、妻の姿を見たという知人、異変を感じて脅しに出る使用人たち、—--悲喜劇である。たいへん面白かった。
『生きている理由』 松岡圭祐 講談社文庫
タイトルからわかりづらいけど、川島芳子。『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』が面白かったのでこちらも読んでみた。
数奇な運命ゆえにたびたび取り上げられる題材ではある。
ジャンヌ・ダルクを知り、自分の目標とするけど、皇帝溥儀に会ってみて失望した彼女がとりあえず達した結論は―― まだ話は終わっていない。男二人+元凶、けっこう少女マンガ向きの要素あり。
70年代の戦争映画『遠すぎた橋』がテレビで放映されたので録画した。珍しく連合国側が負けた「マーケット・ガーデン作戦」を描いたもので、大物多数出演したけど興行的には失敗したそうである。私は大昔に見たことが少しはあるが、時間を間違えていて、3時間枠のうちのあとの2時間しか見なかったので当然見ごたえはなかった。今回は、原作をきちんと再読してから見ようと思って図書館検索したら、ない。県内に広げてもない。念のため『遠すぎた橋』を検索したら、原作は『遥かなる橋』の邦題であった。これならば市内にもある。ハヤカワNF、戦記物いろいろ読んだな~懐かしいな~。
『遠すぎた橋』が封切られたころ、学年誌だったろうか、映画広告のパロディがいろいろ載っていた。『ジョーズ』は、「人間が泳いでいると「おジョーズ」と声をかける人懐こいサメ」。
「日本料理にはやっぱり箸でなくちゃ!でも箸がない!箸を持ち去ったのはドイツ軍だ!」--『遠すぎた箸』
こんなギャグを思い出す。
元軍医のペティケート大佐は、ヨットの上で、ついさっきまで生きていた妻ソニアが急死しているのを発見する。売れっ子作家である妻の稼ぎに頼っている事実上ヒモのような状態(退役大佐といってもまだ若い)のペディケート、妻に死なれては困るので、遺体を海に捨てて、妻の書きかけの小説を自分で書き続ける。しかし、妻の姿を見たという知人、異変を感じて脅しに出る使用人たち、—--悲喜劇である。たいへん面白かった。
『生きている理由』 松岡圭祐 講談社文庫
タイトルからわかりづらいけど、川島芳子。『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』が面白かったのでこちらも読んでみた。
数奇な運命ゆえにたびたび取り上げられる題材ではある。
ジャンヌ・ダルクを知り、自分の目標とするけど、皇帝溥儀に会ってみて失望した彼女がとりあえず達した結論は―― まだ話は終わっていない。男二人+元凶、けっこう少女マンガ向きの要素あり。
70年代の戦争映画『遠すぎた橋』がテレビで放映されたので録画した。珍しく連合国側が負けた「マーケット・ガーデン作戦」を描いたもので、大物多数出演したけど興行的には失敗したそうである。私は大昔に見たことが少しはあるが、時間を間違えていて、3時間枠のうちのあとの2時間しか見なかったので当然見ごたえはなかった。今回は、原作をきちんと再読してから見ようと思って図書館検索したら、ない。県内に広げてもない。念のため『遠すぎた橋』を検索したら、原作は『遥かなる橋』の邦題であった。これならば市内にもある。ハヤカワNF、戦記物いろいろ読んだな~懐かしいな~。
『遠すぎた橋』が封切られたころ、学年誌だったろうか、映画広告のパロディがいろいろ載っていた。『ジョーズ』は、「人間が泳いでいると「おジョーズ」と声をかける人懐こいサメ」。
「日本料理にはやっぱり箸でなくちゃ!でも箸がない!箸を持ち去ったのはドイツ軍だ!」--『遠すぎた箸』
こんなギャグを思い出す。
川島芳子が題材なのに、わかりづらいと言うか地味ですね。
ラノベみたいなタイトルにしろとは言わないけれど。例)「はいからさんはジャンヌ・ダルクに憧れて男装の麗人になりました」
>箸を持ち去ったのはドイツ軍だ!」
「おジョーズ」はそのまま通じるけど、「箸を持ち去った」→「遠すぎた箸」とワンクッションあって、ちょっとわかりづらいと思いました。
「おジョーズ」は今でも通じそうな気がします。サメ映画って、ジャンルのひとつになってるみたいだし、シンプルな駄洒落だし。