レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

ハンスとウンラートとマヌエラ

2011-01-09 06:43:49 | 
 いわゆるドイツの「黄金の20年代」の映画の代表作の一つである『嘆きの天使』 1930、原作はハインリヒ・マンの小説『ウンラート教授』1905。これの邦訳を読んだのはもう数年前だ。筋を一言で言えば、ギムナジウムの教師ラート教授が、カバレット(キャバレーと言ってしまうとイメージが悪くなりすぎるけど)に出入りしている生徒を捕まえようと出入りしているうちに、踊り子ローラに自分が参ってしまって人生転落するという話(身も蓋もないな)。映画では、マレーネ・ディートリッヒの脚線美がたいへん有名である。 原作では、「ある暴君の末路」(転落だったか?)なんて副題がついているように、ラートは権力をふりかざしたイヤな奴として描かれており、その権威も女の色香のまえに敗れるという、辛辣さがある。(映画化にあたってはそういう風刺・批判の要素は意図的に削られた)
 私がこれを読んだころと、ヘッセ『車輪の下』を再読したときは近かったと思う。ごく近い時期の作品でもある。20世紀初頭、教育界でのかつてのリベラリズムが衰え、軍国主義・権威主義の重苦しさが増している時代、それと呼応して「学校小説」が少なからず出た。そのことを念頭におけば、『車輪の下』で生徒側の破滅が描かれており、『ウンラート教授』では、抑圧者側の破滅を扱っているのは興味深い。
 1931のドイツ映画『制服の処女』は、クリスタ・ウィンスローエの小説が原作で、その原作は私も大昔読んだ。角川文庫で、『若草物語』などと似たようなジャンルにくくられていた。小説の原題は『昨日と今日』らしい。小説の年号はいま不明。
 『制服の処女』では、厳格な規律に支配された女子寄宿学校で、繊細な少女マヌエラが若く美しい先生を恋い慕う。製作も出演もすべて女性だけということでも注目を集めた。映画は原作の後半を扱っているが、マヌエラが学校へ行くまえの前半では、父親(将校)やBFも出ている。もっとも、BFといってもはなはだたわいのないものであり、行動はだいたい相手の母親も一緒で、マヌエラも少年よりもその美しい母を慕っているくらいである。(マヌエラ自身の母は死亡している。彼女はマザコンである)
 映画で、なんでもかんでも禁止禁止の寄宿舎で、でも実はそれらのご禁制品を生徒たちはちゃっかり入手していることを示すエピソードがある。女の子のしたたかさを示していて面白い場面なのだけど、なぜか、これの含まれていないバージョンがあるのは謎だ。
 『車輪の下』の少女版とも言えるこの小説、また読める状態になってもらいたいと思う。

 ところで、この映画の原題は Maedchen in Uniformである。Maedchen は英語で言えば girlであって、 virginではないのだ。直訳すれば『制服の少女たち』である。   たぶん、当時は単に、未婚の若い娘というだけの本来の意味で使っていて、いまのように即物的な不純なニュアンスはなかったのだろう。

 まえから、この話題をとりあけたかったけどなんとなく逃していた。寺田寅彦の随筆に、これらの映画の話題が出てきたのでこの際実行した次第。
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2 コメント

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こんにちは (esme)
2011-09-11 07:20:54
はじめまして。
『制服の処女』に関しては、少し前に色々調べてみました。
角川文庫版の『制服の処女』は、巻末解説に映画の原作小説であるかのように書かれていますが、映画(元は舞台劇)原作の『昨日と今日』は戯曲ですし映画同様マヌエラが寄宿学校を訪れるところから始まっているはずなので疑問に思っていました。
おそらく角川文庫版の原著は、原作者自身によって書かれ映画公開2年後の1933年に発行された小説版、“Das Madchen Manuela”(英題 The Child Manuela)ではないでしょうか。前半部分は映画で省略されたのではなく、この小説のために付け加えられたのだと思います。勝手な想像ですが、映画が同性愛的だという批判を考慮したものかもしれません。(どうも、原作者も監督もレズビアンだったようですが)
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こんにちは (レーヌス)
2011-09-11 11:14:56
 興味深いコメントありがとうございます。
 現代でも、映画と同時にノベライズが書かれることは珍しくないので、あとから小説版が出るということもおおいにありますね。
 「同性愛的」でなにが悪いんだ、と現代の一部の鑑賞者としては憤慨を感じますが、もしそれをかわすために付け加えを書いたことで少なくとも作者を責める気はありません。
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