レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

TONO ジーヴス

2014-12-13 07:49:37 | マンガ
2014.12.13

TONO 『砂の下の夢 ~空の下の緑~』1巻

「大ヒット作『砂の下の夢』が新シリーズで帰ってきた!」なんてオビに書いてある。『砂の下の夢』全2巻発売中!(プリンセスコミックスデラックス)とも書いてある。
 新シリーズでもなんでもない、不定期掲載で6年ぶりに復活しただけのこと。私が「プリンセスGOLD」を購読していたころに始まって、07年で途絶えていた、それが13年からまた載るようになった。同じ「プリンセスコミックスデラックス」で3巻として出せば、「空の下の緑」なんて副題を添える必要なんてなかったのだ。B6の「デラックス」でなく新書版の「プリンセスコミックス」にする理由が特にあるとも思えない。
 砂漠でオアシスを管理する役目を持つジャグロ族は、一定の年齢になるまで性別を明かさない。この点は山本鈴美香の未完の『七つの黄金郷(エルドラド)』のレッドフォード一族(エリザベス女王に仕えるイングランド海賊)を彷彿させるが、こちらのほうがはるかにリベラル。フェイスとチャルが性別不明の美形カップルであるというあたりにもそれが出ている。
 過酷な砂漠と、そこに漂う人間のたちの思いの切なさが、淡白なタッチで描かれる。

TONO『コーラル』5巻(完)
 珊瑚の母は不貞で家を出て行った、珊瑚の実父はその不貞相手だったーーと言われていた。その珊瑚が紡いでいる海の人魚たちの物語と二重になっている。女王に統率される人魚たちの間にも争いと友情があり、人間たちとのトラブルがある。元人間を兵士として動かすが、彼らのうちには陸の時代を記憶する者もいる。
 『砂の下の夢』の砂漠とは正反対の海の中の舞台とはいえ、シビアな生死はやはりある。TONO作品では、あっさりと残酷な展開が描かれることがたまにあるが、荒んだ自分の姿を鏡で見せられて悔いて元に戻れたエピソードはほっとする。
 珊瑚の母と、その幼馴染に関する真相は、・・・中々にTONOさんらしいと言える。

『ジーヴス狂騒紳士録』  勝田文  P.G.ウッドハウス
  バーティの悪友ビンゴ・リトルとその愛妻ロージーのところに、ロージーの学友が訪問してきたことから困った問題になる話のクライマックスで、ふだんバカなビンゴが強引な頼もしさを発揮してしまうのは愉快であった。
 英国と米国を股にかけた人気シリーズのこのコミカライズは英訳されているのだろうか、していいのに。


 以下、mixiで紹介されていた記事に講談社ゆかりの(元)少女マンガ家たちの座談会が載っていて、そこから、かずはしともさんの発言を引用。

かずはし 1980年代は一番リア充らしいリア充が読んでいたのが少女フレンドで、花ゆめはオタク系、別マ(『別冊マーガレット』)は1970年代前半までオタクで以降は超リア充っていう感じ(笑)。
 別マは、途中でちょっと方向性の切り替えがあって、美内すずえ先生と和田慎二先生を小長井信昌さん(白泉社創業メンバーの1人で、『花とゆめ』『Lala』の創刊などにも携わる)が連れて集英社を出て、入れ替えでくらもち・いくえみ(くらもちふさこ先生、いくえみ綾先生)世代が始まり、オタク時代からリア充へと変わるんです。

 引用終わり。私が前に読んだ鈴木めぐみさんの本では、フレンドや「なかよし」の読者はいまはマンガから離れている、別マは優等生タイプ、花ゆめはオタク、ララを読んでいた人たちは今でもマンガを読んでいるーーという説だった。
 私が別マに熱中したのは70年代半ばで、確かに「花とゆめ」へと大物たちが出ていった。私はフレンド系にはあまりなじまなかった。 前に、別マは「胸キュン」の恋愛マンガのイメージ、という元編集者の発言に私は違和感を覚えたと書いたことがあるが、これは路線変更のあとを指していたのだろうか。

コメント
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