レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

鈴木孝夫さん

2006-11-20 14:25:56 | 
 言語学者。『武器としてのことば』という著書は結構評判になった。
 今月、文春文庫で『言葉のちから』が出たので買った。まだ読んではいないけど、ぱらぱらと見た感じでは、主旨はある程度見当がつく。(これは、いつも同じこと言ってるという非難の意味ではない)

 講演を2度きいたことがある。
 1度目は、大学1年のとき。なにがテーマだったのかはそうはっきり覚えていないのだが、なるほど・・・!と思ったことが二つ。
 日本は、他国の侵略、異民族支配を受けた歴史がない、すなわち、よそのものをいいものも悪いものもいっしょに押し付けられた経験がない、遣唐使とか留学生とかこちらから出かけて選んで外国のものを取り入れてきた、だから、外国のもの=いいもの、という舶来崇拝ができたのだ、という説明。
 コロンブスがアメリカを「発見」というのは、原住民を無視したヨーロッパ本位の言い方であるーーとは、いまではけっこう定着しているだろうけど、当時の私はそこで初めてきいで驚きを感じたものである。

 すでに10年はまえだろうか、独文学会での講演もあった。その際の主題はこの際ほっとくとして:バスで、大学生がわざわざシルバーシートに座っていたので、「あなたは若く見えますが、実は60歳以上なんですか」と注意したそうだ。「孫が、おじいちゃん、そんなことしてたらいまに殺されるよ、と言ったけど、いいです、もう73だから」
 いまだに訃報は目にしないから、殺されていないのだろう、よかったよかった。

 私の独文科での指導教授M下先生がかつて習ったことがあるそうで、逸話をきいた。

 大昔、 二人で喫茶店にはいった時、鈴木先生は、「レモンスコーシュ」と注文を告げた。そもそも英語英文学専門家としては、「れもんすかっしゅ」などと言いたくはないのだ。ウエイトレスが理解できないので、M下青年(当時)が助け舟を出して済んだ。しかし、運ばれてきたものを飲んで鈴木先生は「まるで水だ」
 「それもそのはず、「レモンスコーシ」と言われたので、レモンを少しにしてあったのです」
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乗り換え案内

2006-11-20 14:21:40 | 雑記
 私が遠出をする際には電車の利用がメインなので、「乗り換え案内」で検索する。なるべく乗ったままでいられることが優先。しかし、同じ路線の場合、例えば新宿へ行くために、C布止まりに乗ってそこで同じホームで待ってる特急に移るなんてのは、「乗り換ええ1回」に数えていないようだ。嘘つき、と言いたくなる。そーゆーのは、純粋に「乗り換えなし」とは言えないんじゃないか? 乗ったらもうそのまま動かずにすむのこそ、真の「乗り換えなし」だ。
 逆に、同じ電車が途中から「○○線」が変わることもあるし。

 目的地まで降りずにすみ、座席に落ち着いた時は嬉しい。家でよりも落ち着いて読書できるということもある。出先でのほうが読む気になる本もなぜかある。
 本を読めるという点で、電車はバスよりも利用価値が高い。でもたまにならばバスも楽しい。ぼーっとしているしかないのも、それはそれで諦めがつく。酔わなければの話だが。
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