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オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

4/19(金)日本フィル第355回名曲/インキネンのシベリウス・チクルス2/フレッシュで冷静な交響曲第2番

2013年04月21日 02時19分18秒 | クラシックコンサート
日本フィルハーモニー交響楽団 第355回 名曲コンサート
【ピエタリ・インキネンのシベリウス・チクルス】


2013年4月19日(金)19:00~ サントリホール・大ホール B席 2階 RA3列 7番 4,000円(チクルス割引)
指 揮: ピエタリ・インキネン
管弦楽: 日本フィルハーモニー交響楽団
【曲目】
シベリウス: 交響曲 第4番 イ短調 作品63
シベリウス: 交響曲 第2番 ニ長調 作品43
《アンコール》
 シベリウス:劇音楽『クオレマ』から「悲しきワルツ」

 先月の2013年3月15日から始まった、日本フィルハーモニー交響楽団、ピエタリ・インキネンさんの指揮による「シベリウス・チクルス」の第2回は、日本フィルの「名曲コンサート」と「横浜定期演奏会」に割り振られて行われた。曲目はシベリウスの交響曲第4番と第2番。一番人気の第2番を定期演奏会からはずして「名曲コンサート」に持ってきたのは営業的な戦略もあったのかなー、という感じがした。何しろ「名曲コンサート」は会員制ではないので割引率の高い年間セット券という設定がない。会員でも1割引にしかならない単券を買うしかないのである。もっとも今回の「シベリウス・チクルス」はセット扱いの2割引で買えたのだが…。
 というわけで、妙なところでケチってしまい、今日は2会のRA3列での鑑賞となった。考えてみれば、日本フィルを2階で聴くのも、あまり記憶がない。まあ、たまには指揮者の表情を見ながら聴くのも良いだろう、と思いつつ席についてビックリ。会場のサントリーホールがガラ空きなのである。半分くらいしか入っていないようだ。これはかなり意外だった。最近の日本フィルは素晴らしい演奏を連発していて、定期演奏会はいつも良く入っているし、コパケン・ワールドなどは完売・満席状態だ。評判の良かった今回の「シベリウス・チクルス」で、人気の第2番の日が売れなかった理由は何なのだろう。他会場の有力なコンサートとダブッてしまったのだろうか。今夜は、オーチャードホールでフェニーチェ歌劇場の『オテロ』、新国立劇場では『魔笛』(こちらは皇太子さのご臨席とか)、東京オペラシティコンサートホールでは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の定期演奏会、NHKホールではNHK交響楽団の定期公演Cプログラム、紀尾井ホールでは紀尾井シンフォニエッタの定期演奏会、等々。私の友人たちも、東京シティ・フィルと『魔笛』に行ってしまった。こんなこともあるものである。明日の横浜定期演奏家が満席であることを祈るとしよう。

 さて、前半は交響曲第4番。あまり聴く機会のない曲である。私も演奏会では聴いた記憶がない。曲想も第1番や第2番に見られるような自然描写や民族意識を鼓舞するようなものとはかなり変わってきている。この曲が作曲された1909~1911年頃のシベリウスは、喉の腫瘍との闘病生活などで死を意識するようになり、極めて内省的で、死への不安や恐怖、葛藤を見つめる「内側に向かった」曲想に支配されている。一方で、管弦楽法などの音楽的構造や作品の完成度は高いと言われ、専門家の間での評価は高い作品である。
 シベリウスがそうであったように、私もいささか体調が思わしくなく、全体を支配する重苦しい色調に対して、あまり聴くことに集中できなかった。聴く機会があまりない曲なのだから、キチンと聴かないともったいないのだが、どうもあまり印象に残らなかったようである。これは別に演奏が良いとか、悪いとかいう次元のことではまったくないので、インキネンさんと日本フィルの皆さんのために書き添えておく。
 むしろいつもとは違ってRAブロックで鑑賞は、日本フィルを横から聴くという珍しい体験で、木管や金管の音色の透明な美しさが新鮮であった。2階で聴くと管楽器群がよく聞こえるので、実力も明瞭になる。一方で、弦楽は方向の問題もあってバランスが良くは聞こえないものだ。今日の日本フィルの第4番は、演奏自体は繊細で抑制的。暗い色調をうまく表現していたように思う。

 さて後半は第2番。ここで白状してしまうと、2階から見ても1階にあまりにも空席が多かったので、座席を移動してしまうことにした。本当に正直に言うが、滅多にこんなことはしない。いつもは律儀に自分に与えられた席でいつも聴くことにしているのだ(というよりは気に入った席が取れないコンサートにはあまり行かないので…)。移動した先は、1階の12~13列くらいの席とだけ言っておこう。つまりはホール1階の真ん中付近ということである。実は、本来ならS席SS席にもなりそうな最良のポジションだが、普段はあまりこの辺では聴かない。いつもはステージ近くの1~3列のセンターにいるので、またまた日本フィルの聞こえ方の違いに新鮮さを感じたものである。
 後半はすっかり体調も回復したので、万全の体勢で集中して聴くことができた。
 シベリウスの交響曲第2番は、多くの人のご多分に漏れずに、私も大好きな曲のひとつである。第1楽章は、木管が爽やかな澄んだ音色を聴かせ、シベリウスに相応しい透明感をうまく描き出していた。一方で主に推進力を描き出す弦楽が、躍動的ではあるもののアンサンブルに濁りが混ざって聞こえるような気がして、すこし気になった。雄壮な金管群は、ノーミスというわけではなかったものの、素直な音色で良かったと思う。
 第2楽章は、緩徐楽章。弦のピチカートに誘われるように登場するファゴットの主題が、幻想的な雰囲気を醸し出している。インキネンさんの指揮は、どちらなといえば淡泊に、インテンポに近く、淡々として冷静な進め方をする。全体に抑え気味の中で、強奏部分でのエネルギーの解放させ方が上手い。
 第3楽章はスケルツォ。ホールのセンター付近で聴いていると、スケルツォ主題の提示が、指揮者から左側のヴァイオリン群と、右側のヴィオラ、チェロ、コントラバスとの分離で、ステレオ効果が明瞭に表れ、音楽がとても立体的に聞こえる。ステージ近くで聴いていると左右から聞こえてくる感じになるので、奥行き感がないのである。トリオ部分のオーボエは素直に美しく、牧歌的な長閑さを感じさせた。この曲はあくまで純音楽の交響曲ではあるが、どうしても音楽の背景を感じてしまう。荒々しいスケルツォは外国の侵略のごときであるし、平和そのもののトリオの長閑さとの対比、そして怒濤のようなの混沌の中から光が射して輝くような第4楽章の主題の晴れやかさ。インキネンさんはここを速めのテンポで流していく。過度に感情表現を盛り込ませず、冷静、冷徹な純音楽として捉え、本質的な音楽の素晴らしさを強調しているようだ。展開部の弦楽のアンサンブルはピタリと決まり、鋭さも厚みもあって素晴らしい。再現部に至る盛り上がりのクレシェンドは、抑制的ではありつつも劇的な盛り上がりを見せた。この辺のバランス感覚がインキネンさんの素敵なところだ。大袈裟にせず、スマートにクールにいくのが、若々しくてフレッシュな印象。1世紀も前の歴史を振り返るよりは、ここにある音楽の本質的な価値を素直に表現したい、そんな意気込みを感じたのは私だけだろうか。
 フィンランドの指揮者によるシベリウスといえば、お国ものなので、清冽かつ雄大な森と湖の自然描写と民族楽派的な熱い魂の融合、というようなイメージを期待してしまう。聴く側の私たちが類型的になってしまっているような気がする。しかしながら、今日のインキネンさんの演奏は、どちらかといえばその類型的な呪縛をはなれて、純音楽的な第2番だったように感じられた。もし普通のコンサートで今日のような演奏を聴かされたら、物足りなさを感じたかもしれない。もっと劇的に、盛り上げた方が感動的である…。しかし今日はチクルスなのだ。シベリウスという交響曲作曲家の全体像を描くとき、何度も何度も聴いた交響曲第2番も作品のひとつでしかなく、他の曲と同じように冷静に見つめ、純音楽として純粋な演奏を試みる。そうすれば本質は自然に表れ、聴く側がその中から何かを感じ取っていけば良いのだろうと思う。いずれにしても、素晴らしい演奏だった。

 アンコールは定番の「悲しきワルツ」。ここではインキネンさんと日本フィルの弦楽が限りなく透明に近いアンサンブルを聴かせた。この美しさは、抒情性は、先ほどまでの演奏とはまた違う。そう、こちらは標題音楽なのである。インキネンさん、Bravo!!


 終演後にサイン会などはなかったが、見れば楽屋口に入っていく人が何人もいるではないか。今日はちょっと図々しく、どさくさ紛れに楽屋にお邪魔して、インキネンさんにサインをおねだりしてきた。あくまで爽やかな素敵な青年指揮者である。こんなことも滅多にすることではないが、今日は何だかいつもと違ったペースのコンサートであった。

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