神戸市東灘区にある谷崎潤一郎の旧居「倚松庵」(いしょうあん)。JR住吉駅から出ている六甲ライナー魚崎駅から川沿いを歩いて数分のところにあります。「倚松庵」とは「松に寄りかかっている住まい」というような意味で、近隣に松があったことによるものですが、、同時に松は松子夫人のことでもあったそうです。
小説『細雪』は、昭和11年から16年の間のこの家でのできごとを、ほぼ忠実にたどったもので、谷崎ファンなら一度は訪れてみたいところ。
もともとの家は現在の地点より南へ150mほどの位置、現在の魚崎駅付近にありましたが、六甲ライナーの建設などに伴い、現在の場所に移築されました。
溢れるような緑がお出迎え。
もちろん建物自体は古いのですが、丁寧に手入れされている様子がうかがえて、とても居心地の良いところです。当日は相変わらずの暑さだったので、着いてすぐ、係りの方が応接間へ案内してくださいました。ここは建物のなかで唯一冷房のきいているところなのです。
光がいっぱいの応接間。
扉のステンドグラスがおしゃれ。
ここの書棚には、谷崎の著作がたくさん並べられていて、この応接間と隣の食堂で自由に閲覧することができます。初版本と思われるものもあったりして、この部屋での読書はたっぷりと谷崎の世界に浸れそうですね。
『細雪』を読んでいると、三姉妹に次女幸子の夫と娘という大所帯なので、ずいぶんな豪邸を想像していましたが、部屋数は多いですけれども、思いのほかこじんまりした印象です。とはいえ、この応接間とか十分広いのですけれども。最近は、吹き抜けの建物とか、部屋を壁で区切らずワンフロアだったりしますので、現代人の感覚がちょっともう違ってきているのでしょう。普段の姉妹の生活がこの洋間中心だったので、実はもっと洋風な建物を想像していましたが、全然日本的で、子供の頃遊びにいった田舎の親戚の家のような懐かしい感じがありました。
物語冒頭に登場する日本間。
映画『東京物語』に出てきそうな昭和なにおいのする欄干。昔の人はこうやって涼をとったんですね。
流産後の幸子が過ごしたであろう縁側を庭から眺める。奥の日本間は履き出し窓がついていて、この家で一番風通しが良い所。
なじみのある地名とか、しゃべり言葉から、谷崎潤一郎の作品は関東で読んだ時より関西で読んだ方が、空気が馴染んでより臨場感が感じられるとは思っていたのですが、それでも『細雪』はどこかファンタジーな印象でした。ところが倚松庵にいると、四姉妹の存在が生々しく感じられ、息遣いまで聞こえてきそうです。この家は借家だったので、家主の都合で『細雪』の執筆が始まってしばらくしたころに急きょ明け渡さねばならなくなったようですが、二階のこいさんの部屋で頬杖をつきながら、ぼんやりと窓から外を眺めていると、離れてもなお、執念ともいえる形で、世相が戦争へと傾いていく中、この閉じられた空間で変わらぬ日々を過ごそうとしていた姉妹の日常を描き残したかった谷崎の愛着の理由がわかる気がします。
生活の匂いが、こんなにも濃い密度で残されているとは思いませんでした。
家族が食事を摂ったテーブルが置かれている台所。
入館は無料ですが、基本的に土日のみの開館です。月に一回、ボランティアガイドによる解説があります。次回は9月15日だそうです。