数年前、東福寺で初めて重森三玲作の庭を見ました。ポップでモダンでかっこよくて、京都の伝統あるお寺にこんな庭を作っちゃっていいの!? と仰天しました。
その東福寺の庭は、昭和14年作庭の三玲43歳のデビュー作、そしてこの松尾大社の松風苑は昭和50年、三玲79歳の絶作です。お庭は「上古の庭」「曲水の庭」「即興の庭」「蓬莱の庭」の四庭で構成されています。
まずは、奈良・平安期に作られた曲水式庭園を範とした「曲水の庭」。さすが華やかな感じですね。どこから見ても美しい景色になるように考えて構成されています。作家の高橋源一郎氏が「アニメのライン」と評していらっしゃいましたが、なるほどこの丸みはまさにそんな感じですね。
怪獣みたい。
まさに曲水。
築山にあるのはサツキだそうで、咲いていたらさぞやキレイだったことでしょう。
川で記念写真。
石はすべて緑泥片岩(りょくでいへんがん)。層がキレイです。
三玲氏は竜安寺の石庭を見て枯山水庭園に魅かれ、ご自分でも作庭を始められたそうですが、竜安寺の配置の妙は踏襲しつつも遙かに現代的です。
「曲水の庭」背後の宝物館と葵殿の間にある「即興の庭」。当初の設計計画には全くなかった空間で、まさに即興的に作られた空間だそうです。
ジャズのアドリブのような、遊び心あふれる気ままさがいいですね。リズムを刻みたくなります。
石がキレイなのでつい寄りたくなってしまいます。
こうしてみると、石や砂の色って種類がたくさんありますね。
円は永遠の運動です。
ジグザグの心地よさ。
私の持っているミラーレスのデジタル一眼は、iAUTOで撮影すると色がやや鮮やかめに撮影されることを知り、なるべく石の自然な色を撮りたいと思い、慣れないのにここで設定を変えました。そしたら、知らないうちにアスペクト比まで変わってしまった(^^;)
なので、ここから再びシネマスコープサイズでお送りします。
渡り廊下をくぐると、三玲の絶作「上古の庭」です。
いやー、ここはすごかった。あ、三玲さん、なんか違うとこ行っちゃったね、って感じです。もはやただの庭ではありません。霊気を感じます。
凄すぎるんで思わず横を向いて一服。はあぁっ。とりあえず落ち着こう(笑)。
石に表情があるんです。
見ている間、結構な間隔で雀が石の上で一休みしていきました。裏は山ですし、雀も居心地いい足場なんでしょうね。自然と一体化している感じが良かったです。
もともとこの松尾大社は磐座(いわくら=日本庭園の原初形態で、ご神体とした石のこと)信仰があって、裏山には現在も磐座があります。ここは、それにちなんで作られた庭です。「据えられた石は石組みではなく、神々の意思によって据えられたものである」と三玲氏自身は説明したそうです。奥の2つの石がこの大社の祭神2柱を表しています。
設定変わる前に渡り廊下から撮った「上古の庭」。ちょっと距離があるのが残念ですが、でもこれくらいの距離が正しいのかな。
とにかく、私の写真では凄さがつたわらないので、機会があれば一度ぜひ訪れることをオススメします。
裏から見た上古の庭。こちらからの風情もなかなか。
裏山に鎮座する磐座への登拝口。登るには許可がいるようです。この手前の入り口は閉じられていました。
重森三玲氏はもともと日本画家を目指していました。先日、「眼球」という作品を拝見しましたが、岡本太郎とピカソを足して二で割り、ミロのスパイスをふりかけたって感じのかなり前衛的な絵です。そもそも眼球というモチーフ自体が日本画ぽくないですよね。その後画家としては挫折して、京都に移り住み、日本の茶の湯などの美を研究していたそうです。
転機となったのが、昭和9年に近畿地方を襲った室蘭台風。各地の庭が大打撃を受けました。古い庭は設計図などが残されていないため、荒廃する一方、見かねた三玲氏は私財を投じて全国の庭を見て回り、3年で300の庭を調査。そこで「元禄、特に明治以降の庭は庭じゃない」ということに気づき、芸術としての庭を残したいと自分でも作庭を始められたとか。その過程で、特に魅かれたのが室町時代の名庭、竜安寺の枯山水の庭園だったのです。以来、庭は「石に始まり、石に終わる」と石組みに情熱を傾けられました。
実はこの辺の情報は先日オンエアされたNHKの「日曜美術館」から拝借しているのですが、同番組のなかで作庭中の三玲氏の映像が紹介されていました。何トンという石をクレーンで釣り上げて、さらに石工と思しき方が数人がかりで据えていくのを、和服姿でマフラーをし、たばこをくゆらした三玲氏が指示していく。微妙な角度の調整なので石工さんたちも大変です。三玲氏はとても80歳近いとは思えない矍鑠とした風情で、ちょっと鬼気迫るものがありました。シミの濃く浮き出たお顔を拝見していると、炎天下をものともせず、作庭や調査に没頭された人生だったんだなぁとしみじみ思います。
口をへの字に結び、とがった顎とヨーダっぽい大きめの耳はいかにも頑固そうで、始終考え込んでいるみたいです。ご自分で道具を使って白砂の上に黙々と渦巻きを描いている姿は、まるで祈っているようにも見えます。
庭を拝見していて、イサムノグチに似たものを感じていたら、やはり交流があったようですね。お二方の庭を拝見していると、石たちも生きもので、宇宙から降ってきた星のかけらなんだな、と実感します。
最後の「蓬莱の庭」は三玲氏が池の形を指示し、その後、長男の完途(かんと)氏がその遺志を継いで完成させたという、最初で最後の親子合作の庭園です。
「蓬莱の庭」というテーマのせいでしょうか、「上古の庭」で感じた息苦しくなるほどの切迫感はなく、穏やかな心休まる庭園です。
ここにはたくさんの鯉がいて、子供たちが餌をあげていました。神の使いとして大切にされている鯉ですが、エサを求める姿が必死すぎてどこかユーモラスです。参拝者の善意で餌をあげることになっているらしく(つまり100円を出して買い求めるのです)、気の毒になって私も、一袋あげてきました。
庭園拝観は有料ですが、この「蓬莱の庭」だけは、隣接の休憩所から眺めることができます。その休憩所で、みたらし団子をいただきました。団子がアツアツで出てきて、焼きあとがこうばしく大変おいしゅうございました。
あす、もう少し松尾大社続きます。