ぶらっとJAPAN

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入れ替わる家主 ~ 大阪市 ~

2015-05-15 22:54:08 | 大阪

 先日の「大大阪時代」一回目でご紹介した『大大阪モダン建築』を読み返していたら、先日見に行った高麗橋のオペラドメーヌの建物が別の店舗として紹介されていました。

『大大阪~』の発行が2007年。どうやらその後掲載されていたお店は閉店し、現在のオペラドメーヌさんになったようです。もともとこの建物は1912年(明治45年)に旧大阪教育生命保険ビルとして建てられたもの。この近辺は金融街として繁栄していたので、元証券会社とか、元銀行という建物は多いです。

 旧八木通商本社ビル。外観を残して改築されました。二階部分までが昔からの建物、その上にけっこうな階数のビルが乗っかりマンションになってる模様。
 
一階はナチュラルな雰囲気が魅力のカフェ。
 
  ぷらぷら歩いてみただけでも、旧八木通商本社ビルが改築されてレジデンスになり、そこの一階がカフェになってたり、旧報徳銀行の建物が有名な洋菓子屋さんになっていたり。企業の建物じゃないですが、大正末期の町屋がお蕎麦屋さんになっていたりします。
 
町屋を改装して作られた蕎麦屋。
 
蕎麦+カツオ丼をいただきました。大阪でこんなに美味しい蕎麦がいただけるとは。
 
濃厚な蕎麦湯。
 
 どんなに素晴らしい建物だとしても、民間企業が経営に支障が出るほどのお金をメンテナンスにかけるわけにはいかないのでしょうね。築後100年も建てば老朽化は免れず、2000年代後半には解体される建物もけっこうあったみたいです。
 
 でも、そういう事情を知って見ると若干の寂しさを感じてしまいます。オシャレな眼鏡屋さんとかお花屋さんでお買い物したり、豪華な内装を味わいながらランチとかそりゃあ楽しいですけども、このまちの「味」とは少し違うような・・・。
 この間行きそびれた澁谷珈琲もそうですけど、くるくる変わる家主は、歴史ある建物たちを単なる「入れ物」にしてしまってる気もします。
 
 昔は船場は織物、今橋は金融、道修町は薬と、それぞれまちの個性があったそうで、今もなくなったわけではないですけどチェーン店のハンバーガー屋とか珈琲屋さんを見ると残念、って感じです。ま、個人の感傷ですけど。
 
 ただ、そうしたまちの歴史、景観を守ろうと頑張ってらっしゃる方々もいて、たとえば、船場地区では働くだけでない、暮らしや遊びを盛り込んだ船場ならではのまちづくりを目指して2008年(平成20年)に船場地区HOPEゾーン協議会が発足、大阪市と連携してまちなみ修景事業に取り組んでいるそうです。建物のオーナーや市からの助成金によって、建物を修復し、美しいまちなみを作る努力が地道に続けられているんです。

 そういう草の根レベルの活動には、さすがの浪花パワーと大阪愛を感じます。「地形は土地の記憶」とはタモリさんの言葉ですが、まちは私たちの先輩方の記憶ですもんね。末永く残っていってほしいと思います。 

 

 

 

コメント
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