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【河原宏】同調圧力と天皇制

2014-02-18 | Mement_Mori

同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。
 自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている。


                   ( 是枝裕和「二分法の世界観」より )

明治以前のニッポンに『国家』の概念は存在しなかった。
とすると、『国家』はたかだか146年の歴史でしかない。
そのうちの過半数の78年は、欽定憲法下に置かれたものである。
この急拵えの『国家』を巷に浸透させるため、大いに活用されたのが神道である。

そのころすでに2万3万社あった神社を、『統る皇』の名の下に統一し、
八百万の自然信仰であった神道を、森羅万象統る神は天皇…という国家神道にすり替え、
この豊饒の国土ニッポンを産んだのは、すめらみこと『天皇』の始祖である天照大神だとした。

今までの庶民の信仰の拠り所を『自然神』=『天皇』とすり替えることで、
『国家』とは、『自然神』である『天皇』が頂の、万世一系の民の集合体であり、
君父臣子、八紘一宇の運命共同体であるという認識をすばやく血肉化することに成功した。

そのシンボルが、『靖国神社』である。

   神社の所管は陸海軍省となり、祭典の祭主は陸海軍の将官がつとめ、
   宮司も軍の任命するところであり、しかも臣下をまつる神社に天皇が参拝するという
   例外的処遇が与えられて、ここに天皇崇拝と軍国主義の結合がはかられたのである。
   
   こうして戦没者は天皇のために死ぬことによって「護国の英霊」となって
   神としてまつられ、国家はすべての国民に礼拝を強要した。
   それを受け入れぬものは不忠、非国民として政治的、道徳的な犯罪者とされるのみならず、
   共同体秩序の攪乱者として生活の次元での疎外、圧迫を被ることになる。
   戦場におもむいた兵士にとってもこのことは最大の威嚇効果を発揮していた。

                   ( 河原宏著「昭和政治思想研究」)

開国によって知らされた異国への脅威にただただ戦々恐々とし、
『天皇』を精神的主柱とした運命共同体『国家』として集約されなければ、
ニッポンという島国は四方八方海に囲まれ、ひとたまりもない…と体を硬くし、
中身を伴わないまま「急拵え」の『国体』としての国家神道を拠り所にした国、日本。

「戦うボクら少国民、天皇陛下の御為めに、死ねと教えた親たちの…」

国のために死ぬことは「護国の英霊」として誇り高いものなのだ…と
幼稚園の唱歌からすでに靖国神社行きを刷り込んでいたこの国とはいったい?

   古代氏族制社会にとっても、武家支配による封建制社会にとっても
   また維新以後の資本主義社会、敗戦後の民主主義社会のすべてにとって、
   天皇制はそれ以前から存在する既成事実である。
   しかもそれはあらゆる既成事実の中でもっとも古く、
   もっとも由緒正しいものなのである。
   皇国史観によれば、それは日本の歴史にとって既に与えられたものだったからである。
   ここに、天皇制の存在はあたかも子にとって親が自己の主体的選択によって親なのではないのと同様、
   無条件、一方的に受け入れるべきものとなる。


                   ( 河原宏著「昭和政治思想研究」)


『国家』の基盤だけでなく『国民』の後ろ盾をも決定する『天皇制』。
その空っぽのアイデンティティに違和を唱えると、爪弾きに遭う社会。
『天皇制=国体』の転覆を企てることは、すなわち大逆=人倫に背く悪逆な行為として、
【アカ】【共産主義】【ユダヤ】という大雑把な括りで一緒くたにされた。
この粛清ともとれる同調圧力がもっとも幅を利かせたのが『軍法会議』である。


   ●軍法会議による処刑者の年次別推移

      1938年=2,197人
      1939年=2,923人
      1940年=3,119人
      1941年=3,304人
      1942年=4,868人
      1943年=4,976人
      1944年=5,586人

                   ( 河原宏著「昭和政治思想研究」)

   
戦線で行方不明となった一兵士がゲリラに捕らわれ、俘虜となる。
俘虜のままでは郷里の家族がどれだけ恥ずかしい思いをするだろうから…と、
意を決して脱走を図り日本軍に戻ったが、軍法会議により処刑となることはザラ。

「負傷して巳むを得ず捕虜となった者でも、そいつは必ず味方の情報を敵に喋ったとみなされ、やはり奔敵罪で処罰される」

さらに死の過酷さは続く。

戦死による兵士の遺骨は一人一人、白木の箱に納められ、軍の栄誉礼でもって迎えられ、遺族の手に引き渡される。
そして「護国の英霊」として靖国神社に祀られ、国民の強制礼拝の対象となる。
しかし、叛乱・逃亡など軍法会議による刑死者の遺骨は辱めと見せしめのために、荒縄で縛られ遺族に渡されるのだ。

「急拵え」の空っぽのアイデンティティにしがみつかんがために、
恐怖政治の様相で『国家』が『国民』を同調圧力によって縛り上げた。
たかだか68年前の話である。

「同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。
 自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている。」


自分の頭で考えるより先に、『国家』が『考える』ことを排除した国、日本。

この「急拵え」の形式ばかりのアイデンティティ、国家神道『靖国神社』に固執する現政権。

『国家』が思考停止を強要した、その先に『天皇制』があることを、
敗戦後のわたしたちが今一度深く掘り下げていく必要があるのではないだろうか?

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