貴を敬えば、賤を産むのは、世の倣い。大嘗祭、明日。
会社に、新日窒工場に、かしこくも天皇陛下さまがおいでなさるから、祖母を、
(わたくしたちは婆さまとよんでいた)会社の沖の恋路島に連れてゆく、というのである。
不敬に当たるから舟に乗せて連れてゆく、いうことをきかなければ縛ってでも連れてゆく…。
女乞食のふところにいつも犬の子をむくむくと入れ歩いている。
犬の子節ちゃんも、小田代くゎんじん殿も、仏の六しゃんも、もうみんな舟に乗せて縛って連れて行ったという…。
恋路島では泳ぎ渡らぬよう見張りをつけて「めしだけはお上のおなさけで、腹のへらぬごと喰わせてやる」という…。
脳を病んでいた祖母がききわけるはずもなく、まして肉親に合点のゆくはずはなく、
「あやまちのあれば切腹しますけん」と父が約束して、その日わが家では表戸に釘打ちして謹慎し、
めくらの祖母はその日も無心に椿油の粕を煮立て、白い蓬髪を洗ってはまろいつげの櫛ですき流し、
いつもしているように古びた白無垢を胸に抱いて、幾度も幾度も袖だたみしながら、
やさしいしわぶきの声を立てていた。(石牟礼道子『苦海浄土』より)
会社に、新日窒工場に、かしこくも天皇陛下さまがおいでなさるから、祖母を、
(わたくしたちは婆さまとよんでいた)会社の沖の恋路島に連れてゆく、というのである。
不敬に当たるから舟に乗せて連れてゆく、いうことをきかなければ縛ってでも連れてゆく…。
女乞食のふところにいつも犬の子をむくむくと入れ歩いている。
犬の子節ちゃんも、小田代くゎんじん殿も、仏の六しゃんも、もうみんな舟に乗せて縛って連れて行ったという…。
恋路島では泳ぎ渡らぬよう見張りをつけて「めしだけはお上のおなさけで、腹のへらぬごと喰わせてやる」という…。
脳を病んでいた祖母がききわけるはずもなく、まして肉親に合点のゆくはずはなく、
「あやまちのあれば切腹しますけん」と父が約束して、その日わが家では表戸に釘打ちして謹慎し、
めくらの祖母はその日も無心に椿油の粕を煮立て、白い蓬髪を洗ってはまろいつげの櫛ですき流し、
いつもしているように古びた白無垢を胸に抱いて、幾度も幾度も袖だたみしながら、
やさしいしわぶきの声を立てていた。(石牟礼道子『苦海浄土』より)