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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Jul_30】小栗康平コレクション4『眠る男』

2016-07-30 | BOOKS&MOVIES
小栗康平コレクション第4弾『眠る男』

オリジナル脚本
製作:群馬県
出演:役所広司、安聖基(アン・ソンギ)、クリスティン・ハキム、他

中之条は伊参スタジオで、長年の友Jaime_Humphleysが作品を制作したことがキッカケで
小栗康平監督の『眠る男』オープンセットと運命的な出会いをし、それ以来いつか観るぞと誓っていた作品。
(写真はそのときの模様。12_Oct.2015_Jaime_Humphreys「Lie of the Land」@中之条ビエンナーレ伊参スタジオ

想像以上に見応え十分の、実写版「トトロ」とも言える世界観でした。

主人公はタイトルどおり『眠る男』。
山男で世界の山々に精通した「拓次」がなぜか地元群馬の山奥で滑落し、意識不明の状態で「ワタル」に発見される。
「ワタル」は知的障害があるが、オカリナを見事に奏でる男。若き小日向文世が演じている。農村の年老いた父母の許で、昏々と眠り続けている。
その謎めいた事故で『眠る男』となった「拓次」を中心に、つながりのある人々が「拓次」との接点を語る間接話法の映画。
つまり、主人公である「拓次」は何も語らず、全篇を通して横たわっている。その存在感が、素晴らしい。
その主人公の「不在」を話の中心に、「同級生」たちやスナックで働く「南の女」たち、
「水車の老人」「自転車置き場のオモニ」「父と母」「親戚の人」たちが、「拓次」を語ることで映画は進行する。

  『眠る男』のプロットは、厳格なまでに単純なものです。
  拓次という山に魅せられた青年が、谷で意識を失って発見される。
  発見したのは、ワタルです。病院で治療したけれども、意識は戻らず、
  治るあてもなく家に戻り、寝たきりで両親の世話になっている。
  あんなに山に精通していた拓次が、なぜ谷に落ちたのか、そもそも彼は何をしにそこへ行ったのか。
  (中略)
  映画内で起こる最大にして唯一の出来事は、拓次の死でしょう。
  死なれてしまうと、それじゃあいつはどこに行ったのか、今どこにいるのか、という疑問が、
  新たに人々のなかに湧いてくる。湧いて止まないものとしてね。
  そこに、この映画が差し出すテーマはあると思う。つまり、
  死ねば人はどこへ行くのか、です。
  たぶん、拓次は森に戻ったのでしょう。けれど、その森とは何か…ですね。
  
(談 小栗康平)

この不在感が、この映画の核心である。だから、画額は常に遠景ショットだ。
人物が非常に小さい配置で、その全景となる群馬の森や町を主体的に扱っている。
そのショットを監督は、「述語が主語を包摂する」という言い方をしていた。
人物は「場」に包摂されている…ということ。
引きのショットによって、写り込む様々な事象、その存在をすべて肯定する、信頼する。
そこからこの映画は成立しているのだ…と。
群馬の山並みと、群馬の町の営みと。そういった遠景に配される人々の生活と。
それらすべてを画面に入れ込むことで、包摂する世界全体を全肯定する。
「述語が主語を包摂する」とは、そういうこと。この世界を信頼するところから、この映画は始まるのだ。
 
  本当に大事なことは肯定形でしか伝わらない。
  主語を強調することで、こんな自分ではダメではないか、そんなお前ではダメではないか、
  となって、狭いところへ陥ってしまいがちなんですが、
  そこを抜け出すための…試みでもありました。
 (談 小栗康平)

人間の背丈を中心としたフレームではない映画。樹木や森のスケールを基準に撮られた映画。
だから、後半「上村」は「拓次」に問いかける。
  
  人間って、大きいんかい?小さいんかい…。

後半、『眠る男』の拓次の魂が、小さな竜巻と共にカラダから出て行くシーンがある。
そこに居合わせた人たちが、家中「拓次」「拓次」と魂に呼びかけ、【魂の読み戻し】をする。
しかし、拓次の魂は戻らない。
その戻らない有り様を、巧みなロングショットで…無人の温泉場や…無人の水車場を撮ることで…表出する。
    「魂が森に還っていく」
生まれて、そして死んで…の生の循環に、全景としての里山の風景が、在る。

最後に、山間の開けた場所で人々が野外能を鑑賞するシーン。
生と死を「橋掛かり」する能楽を持ってくることで、この世界は決して確固としたものではなく、
まして人知で計り知れるほど矮小なものでもなく、生死一如なもの。自然とともにあるもの。

人の枠組みにすべての事象を合わそうとするのではなく、
(そういう論理を強要しているのが【社会】という存在)
感覚を研ぎ澄まし、自身が感知できる領域を押し広げる。
それが引いては、【世界】を知るということ。

「わたしが在る…そのことが【世界】のはじまりである」

最後に小栗監督のコトバで締めたい。

    映画が人類に向かってできる最大の貢献は、
  〈在るものへの信仰〉を直接に、一挙に取り戻せることだと思います。
  そういう映画が生まれ続けることは、人類の死活問題と言っていいくらいだ。




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